活動報告

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2013年3月  長田 信男 (第18代・昭和50年卒)  [記事番号:r0056]
第3回 都内花見ラン  (資料:無し )

3月23日(土)、第3回 都内花見ランを実施。昨年の花見ランでは都内北部、飛鳥山から染井霊園・谷中墓地方面を走ったので、今回は都内西部を行くことに。

参加者は、浅賀、伊藤女史(旧姓石川)、井上、鈴木(幸)、鈴木(宏)、遠山、中村、小生(長田)の8名。主なコースは、北の丸公園→霊南坂→愛宕神社→芝増上寺→麻布十番→善福寺→目黒川→目黒不動尊→目黒競馬場跡(解散)。自宅出発組の走行距離40.8km(コース内走行距離約18km)。

花見ランの連絡を受けた時、23日ではちょっと早いのではないか思った。しかし、当日は満開。2月は梅の開花が遅れるほどの寒さが続いたが、3月には一転暖かい日が続いたことが、桜の開花を早めたのだろう。こんなに早く桜が咲く現象は地球温暖化か、ヒートアイランド現象かと思っていたが、そうではないらしい。桜の花が咲くには直前の寒くならないとだめらしい。

ランの話に戻ろう。いつもの城南3人組(遠山、中村、長田)は午前7時、鈴ヶ森刑場跡に集合。旧東海道を品川方面にひた走り、輪行組の待つ東京駅へ。東京駅では伊藤女史、鈴木(宏)氏が自転車と格闘中。東京駅は毎日通過しているのだが、創建当時を復元した姿を見るのは初めてだ。

集合時間、午前9時。集合場所の北の丸公園に9時前に到着。すでに参加者全員が集合。ひととき雑談をして、いよいよ出発。それにしてもいやに着飾った女性が多いなと思っていたら、武道館前まで来たとき東洋大学の卒業式だということがわかった。桜は入学式というのが相場であったのが、最近は卒業式の花になってしまったようだ。

人波をかき分けて田安門から千鳥が淵を戦没者墓苑のある対岸の道に出る。都内の桜の名所をいろいろ見てきたが、やはりお濠に映える千鳥ヶ淵の桜が一番きれいだ。ここからお濠を半周、新国立劇場、最高裁判所前を通過して国会議事堂へ。国会議事堂前を左折、首相官邸脇を通り溜池交差点をへて六本木通りを直進。全日空ホテル手前を左折、桜坂に出る。

ここからスウェーデン大使館に出る道は、ナビゲーターを務める遠山氏の一押しの場所。はるかに続く道に満開の桜が美しい。あまり知られていない花見の穴場だ。道の中ほどにはカフェテリアもあり、人出もあまりなく、ゆったりと桜を満喫することができる。

スウェーデン大使館前で大返し、霊南坂に向う道に出る。ホテルオークラ手前の江戸見坂へ右折、道なりに前進し、桜田通り、愛宕山下のトンネルを通過して愛宕神社に。同社は標高26mにある。ちょうど武蔵野台地が岬状に突き出したところだ。江戸期には日比谷入江から江戸前の海を一望できる景勝地だった。いまは周りに高い建物が立ち並び、昔日の面影はまったくない。もときた道に戻り、慈恵医大に続く道を前進、日比谷通り沿いにある横浜ゴムビル前の交差点を右折し、芝増上寺へ。

増上寺は先の戦災でほとんど焼かれてしまい、昔の面影はほとんどない。風格を偲ばせる伽藍正面にある三解脱門も、戦後に再建されたものらしい。もともと将軍家のゆかり寺だけあって、寺域は広大だった。現在は中心部のみが寺域となっており、周辺部は芝公園として整備された。境内の徳川家墓所には、秀忠(2代)、家宣(6代)、家継(7代)、家重(9代)、家慶(12代)、家茂(14代)の6将軍が眠る。公園西端にある丸山古墳の上には伊能忠敬測地遺功表が建てられている。

増上寺からは昼食をとるべく麻布十番へ走る。赤羽橋から桜田通りを慶応大学へ。大学の敷地に沿って右折、イタリア大使館を右手に見ながら日向坂をのぼる。(綱町)三井倶楽部で左折、そのまま直進、国道1号に出る。もうここは麻布十番だ。500mほど国道1号を北上して、麻布十番の商店街へ。目的地の蕎麦屋が満席で、近くの中華料理店へ。店の看板に高級と書いてあったが、その名にたがわず定食で2500円前後もした。まいった。私が学生のころは、映画の三丁目の夕日に出てくる街そのもののようなところであったのだが。

ここでは、すぐ近くにある善福寺に立ち寄ることに。この寺には幕末にアメリカ大使館が置かれていたとのこと。空襲にあった大イチョウでも有名だ。この寺の背後には、モンスターのような高層ビル、元麻布ヒルズフォレストタワーがそびえている。景観法もできた今日、これほどひどい景観を何とか規制できないものか。森ビルも頑張っているようだが、地元への配慮を欠くようでは、繁栄は長続きするとも思えないのだが。ここで浅賀・井上両氏とお別れ。

善福寺からいよいよ目黒川に向かう。仙台坂を上り、麻布中・高校前を通り、皇室ご用達の愛育病院角を左折。有栖川宮記念公園を左手に見ながら、広尾駅に。そのまま直進して、外苑西通りを横切り、臨川小学校前を左折して渋谷川(古川)に架かる橋を渡る。さらに前進。恵比寿ガーデンプレイス、東京都写真美術館を右手に見ながら山手線を跨ぐ橋を渡り、厚生中央病院前で目黒駅に通じる道に出、左折。目黒駅前を右折、雅叙園に通じる急坂を、人波をかき分けながら慎重に下り(標高差約20m)、ようやく目黒川べりに出る。

目黒川は世田谷区と三鷹市境付近にある高源院にある鴨池を源流にもつ1級河川で、国道246号の池尻大橋を境に上流側はすべて暗渠、下流側は水面が見える。そして、その沿岸が桜の並木となっている。きれいだが人が多すぎる。しばし桜を堪能して、目黒不動に向かう。

山手通りを横切り西進、お不動さんの裏手に出る。裏口からお不動さんにお参り。目黒不動は、目白、目赤、目青、目黄の各お不動さんとともに五色不動といわれている。サツマイモの栽培で有名な青木昆陽の墓もある。

いよいよ最後のビューポイントである目黒競馬場跡に行く。お不動さんのすぐ西側だ。府中に競馬場が移るまで、競馬場があったところである。競馬場のコース跡が現在も道として残り、地形図上にもはっきり記されている。また、目黒通りには元競馬場という交差点名、元競馬場前というバス停名が見られる。まさに、土地に刻まれた貴重な歴史である。それに比べ、目黒に競馬場が移る前にあった池上には、その痕跡として見られるのはコースに沿って弧を描く池上線の線路ぐらいだ。池上駅付近がメインスタジアムであったという。旧版地形図上にコースを見るのみだ。競馬場跡で鈴木(幸)氏とお別れだ。目黒通りを多摩川に向かって走って帰るという。

残った我々も帰ろう。ここからは、目黒通り、山手通りを走りJR大崎駅へ。ここで、鈴木(宏)、伊藤女史とお別れ。残った城南3人組は再び目黒川に出て、旧東海道に出るために目黒川を河口方向にひた走る。旧東海道手前で、旧荏原郡の惣社である荏原神社に参拝。再び旧東海道を家路に急ぐ。途中、各人と順次分かれて、4時半過ぎに自宅に帰着。美しい桜も満喫して、久しぶりによく走りました。

桜坂にて 芝増上寺にて
善福寺にて 目黒競馬場跡にて

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