活動報告

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2014年10月  丸山 忠昭 (第19代・昭和51年卒)  [記事番号:r0096]
S51年卒 長野ランのご報告  (資料:無し )

同期会ランのご報告

S51卒が長野ランを行った。

9月5日~7日
青木・宇尾野・田坂・丸山の4名。

【全体所感とハイライト】(Reported by 宇尾野)

長崎の楽しさをそのまま長野に平行移動する。しかも今回は自転車を積み込んで。長野道に入ってトンネルを越えた瞬間の強烈な雨は、まだ昼前なのに既に夕方になったかの様な感じ。長野に到着後、とろろ山かけ定食で精をつけ、旧大本営をここに疎開させようと試みた巨大地下迷路トンネルへ。

長野が出身だった真田家が山里に築いた華やいだ豪邸。善光寺参道の夕空。ホテルの落ち着き。大町街道から見えた飛騨山脈(北アルプス)と蕎麦畑の明るい空。すずむし荘の駐車場で自転車を組み立てる時の胸の高鳴り。

稲穂の臭いと祭りを控えた鎮守の森の霊気。ブレーキの軋み、ラチェットの音、坂を登る息遣い。白馬のスーパーでの、何10年かぶりの「食購」。後半からの雨が嘘のように上がって、もうあと1日しかない寂しさ。仲間の思いで探しに付き合うっていうのもいいものだな、と感じた時間。

最初はリフト代が高いかと二の足を踏んだ栂池、やはり行ってよかった栂池の天空絶景。この次も自転車に乗ろうね。もう少し長い距離を、まだ今なら走れそうな気がする。長野の広さと、丸山家に感謝。そして、関東組を運んでくれたプレミオ君に感謝。

【東京から長野までの道程報告】(Reported by 田坂)

宿泊を含めた同期会は過去の松本・長崎以来だが、自転車を携えてランをするという試みは今回が初めてだ。現地到着後の行程は全て長野在住の丸山に委ねた。当日参加可能なメンバーを募ったところ、長野に行けるのは関東からの青木・宇尾野・田坂。その3名が現地までどういう交通手段で辿り着くのがいいのかということをまずは考えてみた。

結論から言うと田坂のセダン(プレミオ)1台に自転車3台+乗員3名という構成になったのだが、そんな詰め込みは今までやったこともない! 出発当日にアタフタして現地到着が遅れたら、丸山が折角作ってくれた企画を最初から乱してしまうのではないかということで、1週間前の積載予行演習を実施した。

ところで関東から持参する私達の自転車についてご説明させていただくと、青木はGiant 700Cのフルサイズ、宇尾野は20”Dahonの折畳みフレーム、田坂は20”Brunoの非折畳みフレームだ(丸山の新車については後述)。事前に川口の青木マンションに集合、そこで3台の自転車の積み込みトライをやってみた。結果はオーライ。大げさな自転車解体も必要なかった。プレミオはリアシートの2/3を倒して3人分の座席も確保できた。

当初は自動車2台にするかとの案もあったが、そこまでせずに済んだ。高速代・ガソリン代などの経費を抑えることもさることながら、道中を3人の会話で楽しめるというのが最大の狙いだ。トライを終えたその日は青木のGiantを田坂の車に積んで帰り、そのまま出発日まで待つことにした。

そうして迎えた出発日はまず宇尾野が亀戸を発ち→四谷で身軽な青木を拾い→仙川で田坂と合流、そこから長野に向けて出発という段取りにしていたのだが、青木姉は何故か四谷でなく飯田橋で宇尾野を待ち続けていた由。そんな笑い話もあったが仙川の田坂マンションに関東組3名が集合、宇尾野の車は田坂の駐車場に置いてきた。

そこで調布ICから中央道を経て準備万端、いざ長野へと向かおうとした途端、まずは宇尾野の「トイレ行きたい!」から始まった。出発から3分後コンビニで早速の休憩を設けた。それを除けば全ては順調、但し天候はどうしようもない。関東は曇り、そこから西に向かうにつれ秋雨前線の影響で雨の兆しが段々濃厚になってき始めた。案の定、長野道に入った頃には猛烈な雨の中も通過した。何やかやのことを経て長野ICから川中島古戦場公園で丸山と合流。以降の報告は丸山に委ねる。

【長野での詳細報告】(Reported by 丸山)

9月5日(金)

どしゃ降りの雨。川中島古戦場公園駐車場で11時30分に待ち合わせた。助手席の宇尾野と目が合うと、2人同時にでた言葉、「どうするこの雨……」とりあえず飯を食ってから考えることにし、予定どおり松代地区に向けて出発する。昼食は当地の特産物である長芋を使った「長芋定食」を4人前注文。食事が済むころには、雨もやや小降りになったので、無料駐車場に車を置き(当初の計画では、ここで自転車を組み、松代の街中を周る予定であったが)、徒歩で松代大本営跡まで行くことにする。

ちなみに、松代地区を計画に組み込んだのは、長野市の観光場所としてはマイナーな場所で皆にあまり知られていない所であるが、歴史的にも一見の価値がある文化遺産等が多数存在するという理由からである。まず、最初に目指した「松代大本営跡」は太平洋戦争末期に、旧大日本帝国が敵国と徹底抗戦する目的で、国家中枢機能移転のために造りかけた地下壕である。

佐久間象山神社から続く、きれいに整備された道が途切れるあたりから登り坂となり、しばらく行くと象山地下壕入口に到着する。受付で人数と何処から来たかを申告し、ヘルメットを着用して、いざ地下壕の中へと進んでいく。ちなみに入場は無料。背中を丸めて中に入ると、中は天井もそこそこの高さである。トンネルを進むと、横方向にも多数のトンネルが掘ってあるが立ち入り禁止となっている。薄暗く結構寒い。足元も石がごろごろしていて不安定だ。ここは一人での入壕は禁止。

地下壕は3箇所あり、長さは10Kmにもおよぶということだ。びっくりするのは、これだけのものをわずか10か月足らずで造ってしまったということだ。最近は、「朝鮮半島から強制動員された労働者によって建設された」という長野市の説明の適否について問題になっている(強制でない労働者もいたという抗議の申し出があった)。公開されているのは片道500mである。入ってから出るまで往復1Kmほど歩くことになる。

象山地下壕を出た後、天皇御座所を外から見学できるとのことなので、いざ舞鶴山地下壕へと向かう。この場所は、気象庁の地震センターが設置されており、窓越しに天皇御座所の和室を見るのは、何とも興味深いものがある。

この後、栗菓子の「竹風堂」で一息入れる(ここで年齢を感じる一幕。皆、甘党に替わってしまっていて、栗を基調にした、スウィーツを楽しんだのでした。もっとも、後ほどのアルコールの飲み具合をみると、何でも来いの甘辛両党という表現が適切なのでしょう)。

一息入れた後は、真田宝物館へ。六文銭の真田家というと、上田の真田幸村を思い出すが、ここ松代も真田一族の城下である。興味深いのは上田の真田は豊臣側に、松代の真田は徳川側についたということである。

歴史のロマンを感じた後は、本日宿泊予定の「ホテル犀北館」へと向かう。当ホテルは長野で屈指の伝統と格式を誇るホテルだ。昨年は天皇、皇后両陛下もお泊りになっている。長野市に宿泊する際は、ぜひ泊まりたいホテルのひとつである。チェックイン後、善光寺に徒歩で参拝。夕暮れ時の境内は人も少なく、至福のひと時である。

夕食はホテルの中華レストランで(飲み放題のお得なコースを予約できたので、酒代だけで元を取ったのかな……)。2次会はホテルのバーにて。3次会は駅方面の居酒屋まで徒歩で移動。ホテルまで歩いて帰るつもりが「どうしてもタクシー」と強い要望をする1名の意見を尊重して、わずかな距離をタクシーでホテルまで。翌朝気が付いたら、そのままの服装でベッドに寝ていました。

9月6日(土)

昨日とは打って変わっていい天気だ。今日は安曇野と白馬地区をサイクリングする予定。長野、白馬間はオリンピック道路を経由して40~50分で行き来できる。途中、丸山のかみさん差入れの「越乃寒梅-無垢-」を受取り、いざ安曇野へ。安曇野地区へ入ると、長野との空気の違いがはっきりと分かる。長野の重い空気と安曇野のカラッとした軽やかな空気。心も軽くなる。

松川村の「すずむし荘」の駐車場にて自転車組立。ちなみに丸山はつい最近小径車(20”)を購入(Billon japanのlionel-10という車種)。クロモリ、ドロップハンドルでミニロードバイクのような仕様になっている。本日がほぼデビュー戦だ。ワクワクしながらトランクから取り出すと、何とタイヤの空気が抜けているではないか(一瞬、本日のランは終わった、と思いました)。スペアチューブを持って来ていてよかった。それでも、タイヤレバーがない。宇尾野が「タイヤレバーあるよ」。持参したポンプではうまく空気が入らない。すかさず宇尾野が「インフレーターあるよ」。ところがこれもうまくいかない。田坂から「このインフレーター、小さいけど十分使えるんだ」。……という具合で、皆さんに助けられいよいよスタートとなる。

メイン通りにほぼ並行して走る、自動車の往来が少ない道路を選んで走行。我が代が皆で自転車で走るのはいったい何年ぶりだろう。卒業以来、ひょっとして初めて? 風を切り、さっそうと安曇野を走る。4人がそれぞれ全く違うタイプの自転車で走るというのも楽しいものだ。久しぶりに気持ちが高揚する。昼食は「青崎山荘」で信州蕎麦。ここは安曇野地区では定評のある蕎麦屋だ。若い人の代になったが人気は衰えない。手打ちとは思えない「細い蕎麦」と「やさしい味覚のつゆ」が特徴だ。

昼食を終えて、いざ白馬へと向かう。まずは本日の宿、「白馬ひふみ」にチェックイン。チェックイン後すぐに自転車の組める場所に移動。白馬地区を走ることにする。まず、歴史を感じながら、「塩の道」を走る。快調だ。しかしながら残念なことに、この道はどこまでも続くわけにはいかなかった(割と短い距離で終わってしまった)。仕方ないので、走りやすい道を選んで、長野オリンピックで使用したジャンプ台まで。間近で見ると、恐ろしい高さから滑り降りているのが分かる(原田、船木は偉大ですね。実感です。ハイ)。

「白馬ひふみ」は、すばらしい温泉と料理で我々をもてなしてくれた。時計の針が日付の境目を回るころ、我々は激しい雨の音を聞きながら眠りに落ちていった。

9月7日(日)

目が覚めると、晴れ。うれしいね。本日は車で帰途につく予定。「学生時代に、住み込みでアルバイトをしていた民宿、どうなっているかみてみたい」青木のたっての希望で栂池高原に足を延ばすことにする。「もう無いよね」との本人の予想に反して、その民宿はロッジと呼び名を変えて健在。経営は息子さんに代わっていたが、彼に約40年前の面影を見ることができ、青木は、感動の一瞬でした。

その後、迷った挙句「栂池自然園」へ。ロープウエイと入場料、合わせて3,600円の価値、充分ありました。さて、いよいよ楽しかった旅も最終段階へ。大町から(オリンピック道路は通らず)池田町、安曇野市明科を経由で、長野道安曇野インターチェンジに向かう。途中、池田の「道の駅」でお土産を購入。昼食は、丸山の実家の裏の「はなぐるま」という名のレストランで。ここはNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」という番組で紹介されて以来、大繁盛の店だ。今回も約40分待ちとなった。この後、楽しかった3日間を噛みしめ、関東組と丸山は別れた。

今回の同期会の感想を一言。「昔の仲間って良いものだね」

以上

善光寺 神社
スキージャンプ台 栂池

コメント

2020年5月 三根生 茂 (第22代・昭和54年卒)   [コメント番号:m0299]
丸山さんとは家も近く(大町市内です)、しかも3代違いの先輩方なので、大変懐かしく拝見しました。また走られたのも、普段私が自転車乗りのホームグラウンドとしている、安曇野ということで身近に感じることができる記事でした。

2014年10月 鈴木 宏和 (第18代・昭和50年卒)   [コメント番号:m0133]
懐かしい往年の姿を思い浮かべながら拝見しました。「今ならまだまだ走れる」合い言葉に大いに走り続けましょう。自転車搬送も「アッパレ」ですね。

2014年10月 青木 清子 (第19代・昭和51年卒)   [コメント番号:m0132]
ホームページ見ました。長野ランがしっかり頭によみがえりました。有難うございました。今度はフルメンバーで走りたいですね。長崎の平松さんも本格的にはじめるんですよね!? 先日のラジオでRCTCのことを話していましたものね。楽しみにしています。

あおき きよこ

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