活動報告

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2014年10月  小宅 哲哉 (第17代・昭和49年卒)  [記事番号:r0099]
利根川サイクリングロード完走合宿ラン:盛年は河口を目指す  (資料:r0099.doc

利根川サイクリングロード完走合宿ラン:盛年は河口を目指す

秋晴れのもと昭和49年卒と50年卒の年代を超えた7人の精鋭が集い40年ぶりの合同合宿を敢行した。群馬、埼玉、茨城、千葉の4県に渡り利根川サイクリング・ロードの最上流から銚子の河口まで245kmを走破した。鍋釜、テントは持たずとも往時のRCTC合宿のスタイルは健在であった。

走行日:
10月18日(土)~21日(火)天候おおむね晴れ

走行者と合宿担当(敬称略・50音順):
• 49年卒
石橋(連絡渉外)
小宅(部活時代回想)
横山(サブリーダー・BD-1広報)
• 50年卒
鈴木幸(事故処理担当)
鈴木宏(リーダー、会計、写真)
遠山(班員人事評価)
中村(安全維持)

自転車:
• ロード
鈴木幸(オぺラ・カーボン)
遠山(パナソニック・クロモリ)
中村(ビアンキ・カーボン)
• フォールデング
石橋(ダホンスピードプロ)
鈴木宏(BD-1)
横山(BD-1)
• ランドナー
小宅(ペガサス)

1日目 渋川~羽生:走行75km

群馬県渋川駅9時38分着の電車でメンバー7人が全員集合し、早速自転車を組み立て始める。折りたたみ組はあっという間に出来上がったが、ランドナーを持参した小宅は組み立てに1時間もかかり出発を遅らせてしまった。……がやさしい同後輩たちは表だって文句は言わなかった。

11時過ぎ、利根川CS(サイクリングロード)の最上流の橋・大正橋を出発する。30分ほど走り、道の駅よしおかで昼食。焼肉定食に普通のものと上州産焼肉があったが出てきたものを見ると変わりはないようだった。

その後10kmほど走った道沿いのあずま屋で休憩中に、年配のサイクリストが小宅のランドナーに関心を示す。まだランドナーのオールドファンがいたのであった。その会話に気を取られたためであろうか、さらに10km走った高崎付近で遠山がリュックを置き忘れたことが判明、1人あわてて引き返す。他のメンバーは待ってもしかたがないのでゆっくりと走り出す。伊勢崎・五料橋で遠山は追いついたが、かなり無理をしたようで疲労の色が濃い。

深谷のコンビニでエネルギー補給したのが午後4時、今日の宿まで残り25kmを暗くなる前に走ろうと急ぐ。願い叶わず陽は落ち、ナイトランとなり暗い土手道を走る。さらに状況は悪化、メンバーより20km余計に走った遠山の足が悲鳴を上げる。羽生に着き土手から国道に降り宿までの走行は心細いものとなった。

ようやく6時過ぎ羽生駅そばのルートホテルに一同無事到着。急いで風呂に入り7時に夕食開始、羽生在住で49年卒の蓮見が来訪し、一緒に座に加わり楽しい再会となった。明日への英気を養うために皆、早めに寝たようだ。

2日目 羽生~木下(印西市):90km

朝、ホテルに蓮見が娘さんとお孫さんを連れて見送りに来てくれた。8時半に出発する。本日のメンバーは、本日帰宅の鈴木幸と足痛の遠山が離脱し5人となった。2人は行田のさいたま古墳群を巡るらしい。その後遠山は輪行で木下の宿で再合流。鈴木幸は上尾駅付近で落車し負傷したとのことであるが不幸中の幸いで輪行帰宅出来たとの連絡が夕刻あった。

メンバーは絶好の秋晴れのなか順調に走り、埼玉、茨城、千葉の3県が隣接している関宿に11時半到着。道の駅そばの食堂で昼食をとった。カレー、うな丼、ラーメンと好き勝手に注文する。

午後1時に野田市の河口まで100km地点で小休止、写真を撮る。さらに川を下った柏の利根運河で、49年卒同期の藤間がフォールデングバイク・モールトンに乗りわれわれを迎えに来てくれた。買って3年目というのにいやに綺麗なのは乗りこんでいない証拠であろう。守谷の新利根大橋までの右岸を一緒に走る。

新利根橋で藤間と別れ左岸を走り、次の大利根橋で右岸に渡る予定であった。しかし藤間のアドバイスを聞いたのが間違いであった。意見どおり左岸沿いにそのまま進んだのであるが、いつしか河川敷に入り込み両側は背丈以上のススキでいっぱいの道になった。周りの景色が確認できないまま小貝川に沿って走っていたのである。利根川との合流地点でしばし思案し、川が流れている方向へ走り出し、次の栄橋で右岸に入り正しい進路に戻った。

再び、昨日のようにナイトランになってしまうのではないかと一抹の不安がよぎったのだが、無事に明るいうちに木下の旅館・銚子屋に5時到着。先に輪行で来ていた遠山が迎えてくれ投宿した。本日走った遠山以外のメンバーは話すのも億劫なほど疲れていたのだが、もともと元気な遠山の口はいっそう滑らかになっていた。それを無視して江戸より150年続く風情ある旅館で、利根の川風を袂に入れて川面に映る灯を眺め一夜を過ごした。

3日目 木下~銚子:80km

(ここから鈴木宏が引き継ぎ)本日も好天、昨日休養した遠山も回復した様子だが走ってみた調子で判断すると言いながら走り出す。午前中は追い風気味で順調にペダルが廻る、昨日は宿の階段もしんどかったが一夜明け自転車を漕ぎ出すと往年のサイクリスト魂が蘇るからまだまだ元気だ。月曜日ですれ違うサイクリストも極めて少なく併走しながら話も弾み河口を目指す。500m毎の河口までの標識もついに50kmを切ったが風向きも徐々に横風から向かい風気味に、一段とペダルに力が入る。

本日帰宅の小宅氏と分かれる地点の水郷大橋へ到達、丁度初日からの通算距離が200kmとなって一同感激。小宅氏は佐原で名物の鰻を食べてから輪行で宇都宮へ帰ると言ってお互いの道中無事を祈念して「別れの儀」。後程のメールでは「分解にかなり時間を要してしまい鰻食べる時間なくコンビニおにぎりと相成った」と。次回への課題が残ったようだ。

メンバーも5人となり遠山も元気回復で走行再開、休憩スポット横で同世代女性が孫を遊ばせてたが我らを見て「凄い、元気だねえ」と。群馬渋川から走って来たと言うと更に「凄い凄い」連発、どうやら元、山ガールだったらしく、青春18切符も使い各地を旅したと言う話も伺った。同世代同士の一体感も感じられてお互いの元気を讃え合えた感がした。

しばらく進むと川沿いに鳥居があった。右手の丘に向かって道筋、どうやら香取神宮への昔の参道らしい。利根川が水路として当時の人々の重要な役割を担っていた名残りである。利根川は江戸時代に東京湾に流れ込んでいたのを流域の洪水対策で太平洋へ流れを変えた東遷事業の歴史的大事業にも思いを馳せながら走り続けてきたがいよいよ秒読み段階に入ってきた。昼食場所を探し始めて間もなく道の駅「水の郷さわら」があり、これで3日間とも昼食場所にはタイミング良く巡りあえた。ここはセルフ形式であったがコストパフォーマンスも良く美味しく満腹となった。

いよいよラストスパート、しかるに曇りがち、向かい風で速度も落ち気味だが気力振り絞りペダルを踏み込む。事前情報通り「海から15km」地点でサイクリングロードは行き止まり、一般道を走るが標識は健在、「海から10km」地点では思わず「頑張れ!」と、心の中で叫んだ。本日帰宅の中村も銚子駅まで走りきった。ここで別れの儀をかわし、健脚4人組(横山、石橋、遠山、鈴木宏)は利根川河口へ。途中、河岸公園で雄大な利根川を眺めていると、中村と再会。電車時間まで余裕あるので景観堪能に、と。再び「別れの儀」。

銚子漁港では丁度接岸船から魚(サンマ?)が水揚げ最中だった、今宵の食膳が楽しみだ。海も目前に迫り河口標識を探すも見当たらず、海との合流箇所の灯台見据える通算245km地点を「河口」と認定した。スタート地点の渋川を振り返ると遙かかなたで、いくら平坦路なれどよくぞ完走したもんだ。「エライ、スゴイ、アッパレ!」と、喝采しあった。

今宵の宿の犬吠埼手前までの数kmは気分良く走った。宿では大歓迎を受け、風呂でゆったり浸かり、打ち上げの会。銚子漁港ならではのキンキ、サンマ、イワシの食膳は期待通りの美味しさ、一同充実感で夜はふけた。

4日目:銚子市内ポタリング(15km)

朝目覚めると、小雨模様、「秋晴れは3日」などと言うようだがやはりだ。小止みになるのを待ち女将さんに見送られ出発、まもなく雨が降り出しついに完全防備、しかし何と遠山はそのまま全天候タイプウエア、恐るべしだ。犬吠埼灯台に立ち寄り、海岸沿いに犬岩、屏風ヶ浦の名所を見つつ、銚子駅目指す。

銚子は醤油の特産地でもあり、ヤマサ醤油工場見学に立ち寄った。今や世界のSoy Souceであり、製造過程を興味深く見学した。銚子は暖流と寒流が交差し魚が豊富という地の利を生かし、利根川から江戸へ魚を運び帰路、大豆、麦等を銚子へ持って来て醤油製造で発展したという経緯がよくわかった。加えてこの工場だけで味わえる醤油ソフトクリームは絶品であった。小雨の銚子ポタリングも目的を果たせ、昼食後、銚子駅から帰途に着いた。

今回、総延長250km近い日本で一番長いサイクリングロードを走るに際して最初は不安もあったが、自転車もランドナー、ロード、小径車と車種も多彩、途中輪行も活用と実にバラエティに富んだ。加えて途中合流再会も楽しめた。PC、携帯、デジカメも無かった時代に共有した郷愁、体験も蘇り楽しい合宿が再現できたのは何よりも嬉しかった。

今回の走行コース検討に際しては以下から参考情報取得したので添付します。特に左岸、右岸情報は大変参考となった。
! 提示されたplala.or.jpのページはリンク切れにより,削除しました(HP担当).

追加の写真はページ上部「資料」にあります。

羽生の宿では蓮見家3世代からお見送り 絶好のサイクリング日和でペダルも軽やかに
藤間氏と合流、しばし併走 目的地まで100Km地点、まだまだ走りを楽しめる

コメント

2014年11月 石橋 正 (第17代・昭和49年卒)   [コメント番号:m0140]
コメントを2度入稿するのは “アリ” なんでしょうか、よくわかりませんが。18代鈴木宏和さんから今回の「利根川合宿ラン・盛年は河口を目指す!」のDVDを戴き、そのDVDの出来上がりのすばらしさを称えると同時に感謝する意味を含め、コメントさせてもらいます。返信したmailをそのまま記載しておきます。

鈴木 宏和 様
DVD拝見しました。大作です! 音楽も若かりし頃のノスタルジーが溢れ “芸術的” に制作されていると思います。参加したレギュラー7人+チョイ役2人(蓮見&藤間のことですが)にとっては、見る度に良い思い出としてよみがえるのではないでしょうか。今回参加させてもらった “オヤジ” の1人としてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

2014年11月 横山 司 (第17代・昭和49年卒)   [コメント番号:m0139]
利根川ランを一緒に企画した鈴木宏和さんとは、当初「今回はロングコースだから、最悪の場合は2人だけだね」と話していたのですが、同期への積極的な声掛けの結果、最終的には7名が集うという嬉しい結果となりました。参加したメンバーは嬉々として走り、語り、食べ、飲み、極めて愉快で充実した時間を共有できたのは何よりでした。ロード、ランドナー、ミニベロ…と乗る自転車が異なっていても一緒にツーリングを楽しむことができることが証明された訳ですから、これからも「参加したくなるような魅力ある企画」を考えていきたいものです。

2014年10月 石橋 正 (第17代・昭和49年卒)   [コメント番号:m0138]
今回「利根川サイクリングロード完走合宿ラン」に参加した1人です。日本で21番目に長い川、坂東太郎を4日かけて走り、河岸から眺める景色は、今までみたことがないものでした。こんな風景が、日本にもあったんだと思わせる今回の旅でした! 企画立案して頂いた、鈴木、横山の両氏に感謝です。

2014年10月 鈴木 宏和 (第18代・昭和50年卒)   [コメント番号:m0137]
本文への追加として、コース検討に際し活用した情報、添付資料への写真追加をしました。本文への写真は5枚限定ですが、WORDへ写真貼り付け、資料添付しました。その際写真のサイズを縮小(長辺320ピクセル)したら10枚程追加できました。なお、PDF正規版ではファイル毎縮小すれば更に多くの写真が添付可能です。

2014年10月 田坂 仁 (第19代・昭和51年卒)   [コメント番号:m0135]
最高に盛り上がっている雰囲気を感じさせていただきました。今度こういう催しがあるのでしたら是非誘ってください、お願いします。

2014年10月 小宅 哲哉 (第17代・昭和49年卒)   [コメント番号:m0134]
計画、連絡、そして当日のコース確認にいたるまで、鈴木宏和(50年卒)の尽力なくしてこの合宿は完遂できませんでした。さすが歴代屈指の外マネ(今でもこの役職はあるのかしら)のなせる業です。この記録報告も宏和さんに推敲しアップしてもらいました。多謝。

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