活動報告

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2015年4月  小宅 哲哉 (第17代・昭和49年卒)  [記事番号:r0117]
東海道中輪歩の記 その2 川崎・神奈川編  (資料:無し )

前回に引き続き、東海道を下る歴史ポタリングを催行した。

日時:
4月19日

走行者(自転車):
• 17代
石橋(メーカー不明のMTB)
小宅(ダホン)
横山(BD-1)
• 18代
長田(コラテック)
鈴木宏和(BD-1)
遠山(アルプス)
中村(ビアンキ)

JR大森駅に7名全員が9時半定刻に集まる。流石にRCTCの精鋭OBである。時間にピッタリ出発した。今回は、旧東海道学の大御所である遠山常勤教授に加え、歴史・地理学の重鎮、長田客員教授を講師に迎えて史跡の解釈をしてもらった。

まず、大森貝塚跡地へ行く。品川区と大森区の2ヵ所に碑がある。発見者モースが明確な場所を特定しなかったために2つの碑ができたらしい、ふ~ん。それから前回の終点地である鈴が森刑場跡に行き、東海道ランの続きを継続した。旧道の羽田街道を過ぎ、第1京浜沿いの梅屋敷公園を見学。「和中散」を売り儲けた薬屋の屋敷らしい。昔はもっと広々としていただろうが、今はさびしく梅の木が生えていた。

第1京浜を南に飛ばしているうちに、石橋君が消えてしまう。しばらく待っても来ない? トラブル発生かと心配したが、裏道を通って先に六郷神社に着いたとのこと、一同安心した。別のグループの後をついていったらしい、ふ~ん。

六郷の渡し跡がある北野神社は「落馬止め天神」様である。我われサイクリストは、是非ともご利益に預かりたい天神様である。しかし拝んだのは小宅ひとりであった。あとの人は、いずれ遅かれ早かれ落車することになるだろう、可愛そうに。

六郷橋を渡り川崎に入る。川崎商店街の観光案内所を見ようと店内に入った途端、受付の係員に自転車を入口前に置くなと注意をされる。この川崎の地は、著名な遠山先生の地元であるのにまったく話が分からない平民だ。分からず屋を後にして、八丁畷の芭蕉の句碑を前に「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」を各自解読、ふ~む。句碑の周りに麦の穂が生えていた。なんとも憎い演出だ。

市場の一里塚(日本橋から5里)を過ぎ、鶴見橋を渡り鶴見の街に入る。ここで昼食ということになり、沖縄料理の店を探す。鶴見は沖縄出身者が多く沖縄の物産や店が多い。何人もの人に尋ねてようやく仲通りにある「おきなわ亭」に到着。昼過ぎで混んでいたが、うまい具合に待たずに全員が入れた。「ソーキそば」や「ゴーヤチャンプル」など本場沖縄の味がして大変美味しかった、正解。但し小麦アレルギーの石橋君はそばが食べられず、「てびち(豚足)料理」を食べていたが、これも美味しいとみえて完食した。

腹一杯となり満足した後は、第1京浜上にあるJR鶴見線の無人駅の国道駅に寄る。この駅のガード下は、実に懐かしい昭和の雰囲気が残っている。赤提灯の向こうから、赤木圭一郎が口笛を吹きながら歩いて来るような気がした。

次に歴史の転換となった生麦事件の跡地を見た。思った以上に道幅が狭く、こんな所では事件が起こっても仕方がない。我われサイクリストもお互いに道を譲らないとトラブルになるなと思った。この碑も2ヵ所あった。どうにも史的検証は難しいものだと考えさせられる日であった。

そこから神奈川駅そばの神奈川宿歴史の道の案内図をみて、青木橋を渡り本覚寺境内に入った。そして旧東海道への坂道の途中にある田中家前に到着。ここは、広重の神奈川宿の絵にも描かれている店で、坂本龍馬の妻であったおりょうさんが働いていた所である。高杉、西郷も訪れた由緒ある店だ。ここで食事がしたいものだが、我われは懐がさびしい。せめてもの慰めに集合写真を撮り、午後3時に解散した。

遠山、長田の両人の解説は、微に入り細に入り東海道を知る上で大変ためになった。天気もどうにかもって雨に降られず、走行には快適であった。日本橋、品川、川崎、そして神奈川とようやく4番めの宿場に着いた。まだまだ先は長い。

以下に今回のコースを記す。
大森駅集合(9:30)~大森貝塚跡~鈴が森~大井の水神~梅屋敷公園~六郷神社 ~六郷の渡し跡(北野神社 11:40)~川崎・佐藤惣之助碑~八丁畷・芭蕉句碑~鶴見・沖縄通り(13:00)~国道駅~生麦事件碑~本覚寺~神奈川宿・田中家(15:00)解散、走行26km。

はねだ街道 芭蕉碑
国道ガード 田中家

コメント

2015年5月 石橋 正 (第17代・昭和49年卒)   [コメント番号:m0153]
追記
数日前、5月10日のグランフォンド・軽井沢のトレーニングのため自転車に乗ったが、落車! 小宅君の “予言” が当たってしまった。“信心” 深い私は北野神社にお参りしたのは言うまでも無い(今回参加の方、皆様の分も拝んでおきました。代理何とかが流行っていますが、気に咎める方は、近くに来た時にでもご自身でお参り下さい)。

北野天神の「止め神社」の由来~境内の石碑より抜粋
「八代将軍吉宗の御乗馬が暴走してあわやと云う時に将軍の落馬を止めた “北野天神” のご加護にあやかったものと云われている。昔から馬の乗り方を “天神乗り” と云うように天神様は乗馬の師でもあった。「落馬止めの天神」を近郷の村人や町人は敢えて “落馬” という呼び名を省いて「止め天神」と呼ぶようになったと云われている。人の身にふりかかる悪い事一切を “止め” て下さる天神様として昔から今日まで多くの人々に崇敬されている」

今回の小宅君主催の “東海道輪歩の旅” はまだまだ続くとのことです。そこで、ご自分の興味を広げる上での参考・予習編です。“講演会 東海道の魅力” が(ブログ中にあった)東海道かわさき宿交流館で開催との情報を取得しました。次回以降 “東海道輪歩の旅” に是非参加したいと思われている方は聴講されてみてはいかがでしょう。

日時;平成27年6月6日(土)14:00(開場 13:30)

場所;〒210-0001 神奈川県川崎市川崎区本町1丁目8番地4 東海道かわさき交流会館4F 集会室

費用;無料

参照;http://kawasakishuku.jp/15_event/

* ポタリングを兼ねて行かれる方;交流会館前には自転車は止められませんが、裏に市営の有料の駐輪場があります。

2015年5月 石橋 正 (第17代・昭和49年卒)   [コメント番号:m0152]
小宅君主催の「東海道中輪歩の旅」に今回初参加した。今回のコースは、当方地元とあって、そこは、“よく通る道” であったが、灯台下暗し、新しい発見の多い旅でもあった。いつもよく通る、梅屋敷の公園の由来。聞きなれた、村田英雄の “人生劇場” の作詞が “佐藤惣之助” のもので、川崎信金本店所在地が生家跡であったり。身近な場所に、歴史の断片が何気なくそこに刻まれていた。興味は、人それぞれに違うけど知らなかった事実に対面したり、知っていた事実が?あったりすると、新たな興味がわいて来る。今回はそんなことを教えてくれた輪歩の旅であった。

学生時代、池袋文芸座通の小宅君に敬意を表して、投稿文章の中の「映画 鶴見線 国道駅 赤木圭一郎」でGoogle検索して(ググって)みたら2番目に「RCTC Rikyo Cyclists' Touring Club 立教大学サイクリスツ・ツーリング・クラブ OB·OG会」がでてきたのには驚いた。

2015年4月 森田 由三郎 (第18代・昭和50年卒)   [コメント番号:m0151]
当日ランがあったことをすっかり忘れていました。田中屋は知り合いの娘が働いていて見学か何かのお役に立てたかもしれません。といっても当方当日は朝からマンション管理組合の年次総会があり、駐車場料金値下げと修繕積立金値上げの議事進行に悪戦苦闘。なんと昼飯を食べたのは2時過ぎ。世の中には分からんチンを言う輩が多くて困ります。

次回、箱根駅伝の難所権太坂越えの節には当方を案内役にご指名ください。東海道脇の境木地蔵、亡きダイアナ妃やウィリアム王子も訪れた英連邦戦死者墓地など見学してはいかがでしょう。

2015年4月 鈴木 宏和 (第18代・昭和50年卒)   [コメント番号:m0150]
品川ー横浜間は高校時代から通学、通勤で通ってた沿線にもかかわらず、旧東海道はほとんど未踏区間でした。歴史の跡を解説付きで当時の情景思い浮かべながらの自転車散策は新鮮でした。ありがとうございます。

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