活動報告

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2015年10月  石橋 正 (第17代・昭和49年卒)  [記事番号:r0171]
志賀高原 ハイキング&サイクリング&温泉3湯浸かり旅  (資料:r0171.doc

10月13日(火)

東京発10:00。一路群馬県へ。渋川インターを関越道を降り、志賀高原に行くのに今回は草津温泉経由志賀高原のルートを選択した。これは、以前群馬の日帰り温泉花咲の湯に行った時、露天風呂に浸かっていて、隣の男性の人と温泉談義をした時、群馬県で、お勧めの温泉を聞いたら “大塚温泉” の名前が挙がった。それで前から、一度行ってみたかったので、山下君の了承を得て、途中立ち寄り湯と相成った。

宿までの道路は、幹線からぬけて、あたりは、山の中というより、里山的な感じ。宿の主人らしき人に入浴料300円を支払い、入浴。内湯には、4、5人の人が入浴していた。温泉は、無色透明泉でお湯を掬うてみると、いい温泉の証明マッタリ感がある。露天風呂に行く。源泉100%かけ流しなのだが、少々温め。湯治なら、3、4時間入ることで、効能がでてくるだろうが、これから、我ら2人、草津を抜け志賀にいかねばならぬ。適度に暖まったところで出ることにする。

草津温泉街に着くが、12時をとっくに過ぎ、昼食にありつかねば。これからの道中食堂の存在可能性が薄くなるので、ここで、食せねばと思い食堂を探す。ホテルづきのレストランも平日のせいか、どこのレストランもClose。草津温泉の中心、湯畑へいけばどうにかなると思い、細い道路を、観光客を避けながら行くが、在るには在るが、駐車場がない。いきつくところ、温泉街の中心にある、バスの待合を兼ねたバスターミナルの中に、食堂を発見。やっと昼食にありつくことができた。

食事も早々、いざ志賀を目指す。ぐんぐん山岳ルートを上る。途中には平成26年6月には噴火警戒レベル2(火口周辺規制)に引き上げられた草津白根山があった。窓を開けると硫黄の臭いが漂う。早いとこぬけてしまおう。通称志賀草津高原ルートには、日本国道最高地点(2117m)があったが、なんかゆっくりできないような気になっていたので通過。渋峠を過ぎるとあとは、下りだ。蓮池湖畔の今夜の宿。志賀高原レイクホテルについたのは、4時半ごろであった。

10月14日(水)

今日は、ハイキングだ。蓮池より小池→長池→三角池→木戸池、晩秋の高原のハイキング。紅葉が綺麗だ。天気は太陽が時々顔をだす。寒くはなくまずまず。途中、信州大学教育学部志賀自然教育研究施設があり、立ち寄る。建物には、研究の成果?か動植物の見本が展示されていた。ひかりゴケがみれる箇所がりあり、目をこらす。山下君は、自転車の趣味とハイキングの趣味があり、時々、ハイキングには行くとの事。木戸池には、私の方が、先に着く。池の側のボートの管理棟の建物の中で、ホテルで注文しておいた持参のおにぎり弁当をほお張る。そこから、硯川温泉前の横手山、鉢山が眺められる。

前山山頂まで、リフトに乗る。山頂からは、前記の山の他、笠ケ岳が見ることができ、さらに眼下には熊の湯、硯川地区の温泉群が見える。宿の上方には、冬には、スキー客でにぎわうゲレンデ、スキーコースが山肌の斜面に木々を切り裂くように広がる。往復の切符ではなく、あえて、下山は、徒歩で下る。下山道はリフトの下ではなく、だいぶ遠回りの道だった。

時間があったので、硯川温泉付近の周回ルートをさらに歩いてみる。目標は、何百年か前の木が立っているということであったが、地図と実道とが乖離が激しく何度か道を間違えたが、最終見つけることができた。その木は森の中にひっそりと人間の何倍もの生命力を有して立っていた。長生きしている生物には、いつもそうだが、わたしは、感心するというより、尊敬する。出遭った時、習慣でその長い年月の息吹を感じる為に木の幹に手をあてててみる。

3時前に出発地点の硯川温泉にもどり着く。硯川温泉に入るか、熊の湯温泉にするか、山下君は、以前硯川温泉に入り泉質は、大変良かったとの事。今回は、熊の湯に浸かることにする。江戸の蘭学者佐久間象山が世に広めたと伝えられている。色は、濃厚なエメラルドグリーン色 で、濃厚な硫黄泉だ。口に含んでみると苦味を感じる。確かに名湯だ。ホテル前の停留所よりバスに乗り宿にもどったのが、午後5時ぐらいだった。

10月15日(木)

最終日。今日はサイクリング。自動車のルーフに積んできた、自転車の出番である。ルートは、ホテルより、さらに上り、奥志賀スーパー林道の手前あたりを走ることにする。距離は、時間を見て決定する事にする。本日の走行距離9km、標高差146m。天気もよく、適度に汗をかく事ができた。ホテルは、レイトチェックアウトができたので、帰りがけホテルの風呂で汗を流して、帰ることにする。今回の旅は、ハイキング、サイクリング、温泉と贅沢な旅であった。

最後に今回同行してくれた山下雅孝君の事を紹介しない訳にはいくまい。この記事をRCTCのブログにのせるにも、同じ自転車好きということで相応しいと思うからである。今回、同行してくれた、山下雅孝君と私とは、中学以来の自転車仲間である.彼とは、中学1年の時、立教中学(現立教中学池袋)に集合して東京都下の狭山湖往復した。それを皮切りに、東京~富士五湖往復、東京~軽井沢、東京~水上、伊豆半島1周、高校2年の時,夏休み全部40日を使い、東京~九州最南端佐多岬までを走った “同志” といった間柄である。

立教中学、立教高校と進み、大学も立教大学に進むが、彼は、ゴルフ部、当方RCTCに入部しキャンパスで時々顔を会わせるぐらいになってしまったが、彼は、社会に出てからも、時間があれば、自転車を担ぎ、日本全国を走っていた。その走行距離は、4万数千km 。km数からすると日本一周はゆうに終わっている。日本一周する人は、学生であったり、仕事を一時中断してある一定期間走行する人が多い。それと日本一周というと海岸線をぐるっとまわっている人もいるが彼のすごい所は別紙資料にあるように、道という道を走っていること、社会人として、仕事に従事しながら、その合い間に時間ができると、走行済みのところまで輪行して、そこから日本の道路という道路を繋(つな)ぎ倒していることだろう。

さらに彼のすごいところは、走行の記録、整理というところにある。50年間の自転車生活の記録を克明に記録整理しているところにある。走った距離、時間、費用、宿泊、日時、など残してある。記録アルバム数10冊、ずぼらな当方は、アルバム写真ぐらいなので、初期の彼との同行記録を時々、見させてもらい、記憶が甦ってきたりする。当方が本でも書いたらと言うと、“自己満足” だからという奥ゆかしさだ。あと数年はこの “終わりのない地図を真っ黒にする旅” は続けるというから驚きだ。

“銀輪をこよなく愛している” 仲間ということで、この “活動記録” を載せるにあたり是非とも彼のことを紹介させてもらった。

参考:
大塚温泉 ! fc2.comのURLはリンク切れなので,中之条町観光協会のものにしました.
熊の湯
志賀レークホテル

奥志賀高原 群馬県 大塚温泉前
伊豆大島にて(山下君) 高知にて(山下君)

コメント

2016年1月 鈴木 宏和 (第18代・昭和50年卒)   [コメント番号:m0203]
資料編の地図をみて、絶句! 凄い! 凄すぎる!と、しばし地図を凝視でした。日本列島くまなく縦断、横断の連続ですね。本当に「びっくりポン!」です。3湯巡りしながら、話が尽きなかった事と思います。

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