活動報告

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2017年10月  小宅 哲哉 (第17代・昭和49年卒)  [記事番号:r0237]
雨中三河路豊橋~宮(名古屋)編(東海道中輪歩の記 その8)  (資料:無し )

日時:10月15日(日)~17日(火)

走行者および自転車:
• 17期
横山(BD-1)
小宅(Giant Idiom)
• 18期
鈴木宏和(ダホンMu Elite)
遠山(パナレーサー)

全コース:豊橋~宮 70km

相模、駿河、遠州と来て三河路に入った。この道は、旧東海道の雰囲気が色濃く残る道であったが残念ながら丸2日間雨に降られどうしの走行であった。誰のせいだろう? よほど普段の行いが悪い人がいるに違いない。今回、吉田(34宿め)~宮(41宿め)と70kmの間に8宿を通った。

1日目:吉田宿(豊橋)~岡崎宿(34km)

豊橋駅集合9時、降雨である。前泊した小宅と朝一番で乗りつけた遠山が横山、宏和両君の2人を迎える。エレベーターで1階に降りてきた2人は輪行のまま自転車を組み立てようとしない。雨に恐れをなしているようだ。しかたなく御油(ごゆ)駅で落合うこととして遠山、小宅は走り出した。遠山先生が道案内をしたが案の定道に迷う。先生は自分の間違いは気にしない性質である。豊川を過ぎ国府(こう)の街辺りから旧道の名残りが随所に見られた。

11時御油駅で4人が合流し五十三次班は出発した。すぐに松並木資料館で歴史の学習。先生は雨の中でも異様にテンションが高く、落ち込んでいる3人の癇に触る。雨の時はしんみりとする感情を持って頂きたい。資料館の係の方に聞いた釜飯の店で昼食にした。そこは洒落た民家風のカフェであった。聞くところによるとこの道沿いは伝統的建築群であり、それらしい建物しか許可されないという。

次の赤坂宿では雨のためか遊女に袖を引っ張られることもなく(少し残念)通過。この辺りから雨が一段と強くなり国道1号沿いの運送センターの庇の下で暫し休憩、雨のために憂鬱で話も弾まない。ここは、豊橋~宮へ抜ける街道中では標高が最も高いところに位置する。意を決して出発、坂を下り旧道に戻る。下りの途中に本(もと)宿の冠木門があったらしいのだが気付かなかった。フードを被り視界を遮られているので見過ごしたと思われる。

藤川宿に着き本陣跡広場と無人の藤川宿資料館(脇本陣跡)を見学する。この広場に「むらさき麦」というものが植えられていた。この時私は、むらさき麦ってなんだろうと思い、後日調べてみた。この地で芭蕉が「ここも三河 むらさき麦のかきつばた」との詠んだ句がある。これに従い藤川ではこの麦を復活させ町興しに栽培しているとのことである。この麦をもう少し注意して見ればよかった。

さて藤川宿の松並木を過ぎればもう岡崎宿である。大平の一里塚の前でホテルまでの経路を確認し、くねくねと旧道の二十七曲がりを曲がって今夜の宿に午後4時前に到着した。汗と雨露を流し落ち着いてから東岡崎駅前の居酒屋で歓談の夕餉とあいなった。

2日目:岡崎宿~宮宿(36km)

天気は回復せず朝からかなりの降雨である。出がけに気をそがれたが遠山先生の気合に便乗して9時過ぎにホテルを出発する。岡崎城に寄ろうとするが、Yくんは、先を急ぐため見学する余裕はないと言う。ここまで濡れて急いでも仕方ないだろうと、その意見を無視して岡崎城公園内に入ってしまう。岡崎城は家康の居城であった。ここを訪れた記録を残さねば旧東海道旅行の価値が下がると、天守閣を仰いで写真を撮った。

岡崎城から西へ八丁、味噌の工場・資料館である「八丁味噌の郷」に入る。ここでは我々4人に女性の案内人が30分にわたり、工場内を歩きながら歴史と沿革を説明してくれた(写真)。宏和くんは邪な考えを抱いたのか、この女性を褒めちぎる。確かに微に入り細を穿つお話は、雨でボーッとしていた4人に大いなる研究意識を芽生えさせてくれた。説明も終わり案内の方は、お約束通り土産を勧めたのだが、こういう時に限り他の3人は小宅を盾にする。都会育ちの計算高さが見え隠れするなあ、調子いい同後輩だ。でもここで買った八丁味噌うどんは、坂東太郎うどんよりもはるかに美味かったので良しとしよう。

そこからの街道は、至る所で松並木が迎えてくれる。同じく雨に降られるのなら車が多い国道を走るよりは、旧東海道の風情が残る街道を走る方が気分は良いものである。古の人も笠に合羽でこの街道を歩いたのかと想像すると感慨深いものがあった。来迎時の一里塚、500m続く知立の松並木を過ぎ知立の街中に入った。ちょうど昼時となったので駅前の中華料理店「榮太郎」で昼食を取った。ボリュームのある中華は冷えた身体を温めてくれた。

その後阿野の一里塚を経て、中京競馬場駅近くの「伝説桶狭間古戦場跡地」である国指定史跡の公園に寄った。ここを寄るつもりはなかったが、国道の案内看板に100m先と書いてあったので予定外に立ち寄ってみた。近世の歴史の転換点となった由緒ある史跡に立てたことは、この旅の収穫の一つである。天下に聞こえた「桶狭間」は、マンションに囲まれひっそりと隠れるような所であった。地形的にみると、なるほど狭間であったと窺われる。「おけはざま」の「はざま」は狭間であったのだ。勉強になったなあ。

公園内を歩いていた妙齢の女性に、次の立ち寄り所である有松絞会館のことを聞き、出発しようと遠山と小宅が出口で待つ。しかしYくん、Hくんがいっこうに来ない。女性と話し込んでいたとのことである。最近このYHコンビ(Y世渡り上手、H人当たり上手)の共同行動が少なからず目立つ。

国道から再び旧道に入り少し行くと間の宿、有松である。ここは今回の行程中で最も記憶に残る街道風情をもっていた。約800mの沿道になまこ壁の蔵や格子造りの塀と庇で覆われた旧商家の家並みが続く。歩いていくと江戸時代の賑わいが目に浮かんでくるようである。雨のためか観光客も少なく、十分にこの宿の趣を味わうことができた。街の中ほどに有松鳴海絞会館があり、その中の休憩所カフェ「さらび」でお茶にした。ロシアンティーなる洒落たものを飲んで再び温まった。

1時間ほど休憩するも雨は益々強くなったが、気合を入れて出発する。鳴海駅から宮までは、事前に作成しダウンロードしたスマホナビに従い忠実に旧東海道を進んだ。笠寺の一里塚から東光院、笠寺観音、西方院などは雨のため簡単に通り過ぎたのだが、じっくり見れば面白いそうな所であった。

呼続(よびつき)という街を過ぎ山崎城のある山崎川を渡ると、もう名古屋の大都会。道も広く交通量も多い。新堀川に沿って下り国道247号を超えた場所が、今回の目的地宮の七里の渡しである。こじんまりと静かな公園になっていて、目の前の堀川の溜まりには今でも渡し場がある。常夜灯と時の鐘の櫓が往時を偲ばせ、雨に打たれて佇んでいた。

我々はよくぞここまで来たという自尊と感慨に、暫し時と雨を忘れ各自もの思いに耽った。日本橋から41宿め、長い旅路であった。ここ宮は東海道でも最大の宿場で旅籠が248軒もあったという。熱田神宮の門前町であることから公文書では熱田宿とも書かれた所だ。熱田の宮のそばの「深翠苑」という宿に到着したのは午後5時になろうとしていた。

3日目は輪行で桑名までの予定であったが、本日も雨のため朝食後、宿で解散。それぞれ帰路についた。

番外記
今回も1日目は宏和くんによるスマホのナビを利用した。連日の雨のためスマホとデジカメの具合が悪くなり、2日目は小宅のスマホナビを利用した。この五十三次旅にスマホナビは欠かせないものとなった。旧東海道を走るには、GPSで現在地を確認し標識不案内な旧道を辿る必要があるからである。雨により大事なふたつの情報機器が使えなくなった氏の落ち込みを先生はほくそ笑んだのは言うまでもない。

1日目
豊橋駅集合9時 出発9:40~御油駅11時~松並木資料館~11:45松並木昼食(Pinocafe)12:45~赤坂宿13時~長沢(雨宿り)14時~本宿~藤川宿15時~15:45着岡崎(スーパーH岡崎)

2日目
ホテル9時発~岡崎城~9:40八丁味噌の郷10:50~知立松並木~12時知立駅(昼飯栄太楼)13時~伝説桶狭間戦場跡有松木原畷戦場跡~14時有松絞会館(会館内「さらび」にて休憩)15時~16時宮の七里の渡し~16:30熱田神宮(深翠苑)

3日目
熱田神宮「深翠苑」にて解散9時

御油宿ー赤坂宿間の松並木 藤川宿脇本陣跡の資料館
有松絞宿の風情 八丁味噌工場の巨大「味噌樽」

コメント

2017年10月 横山 司 (第17代・昭和49年卒)   [コメント番号:m0273]
雨続きの天気予報だったが、旧東海道ランの両幹事(小宅、遠山両君)からは延期の連絡は一切なかった。というのは以前土砂降りの箱根越えを強行していたのがこの2人だったからである。私を含め4名は危険を避けるために奥湯本でランを打ち切ったのに、日本橋から京都まで完走しなければ意味がない!という執念には感嘆し称賛したものである。今回雨の中、熱田(名古屋)までどうにか走り、あと2回で京都に到着できるところまで来た。これからは晴天の下で走りたいものだ!

2017年10月 鈴木 宏和 (第18代・昭和50年卒)   [コメント番号:m0272]
雨中の東海道は現代人にとっては辛いと思うも、街道沿いの往時が偲ばれる風情に心が救われました。八丁味噌、有松絞りなど伝統も味わいながら、いい旅が出来ました。でも文明機器類駆使は雨に沈没、次回へ学習効果生かす工夫が必要と痛感!

2017年10月 竹内 茂 (第17代・昭和49年卒)   [コメント番号:m0274]
雨の中、豊橋‐岡崎ご苦労さん。当地域は私も単身赴任地であった事もあり、旧街道を走りました。赤坂の宿からは走っていて大変風情があり 晴れていれば良かったね。一つ次回の為に豊橋はウナギの町なので(関東風と関西風の接点・混じったところ)是非トライください。また豊橋から飯田までの奥三河も 途中温泉が随所にあり、ブッポウソウで有名な鳳来寺付近、天竜 飯田ルートも応用編でトライを推奨します(途中から結構きつめの山岳ルートですが)。

2017年10月 浅賀 啓太郎 (第18代・昭和50年卒)   [コメント番号:m0271]
先輩、同輩雨の中お疲れさまでした。小宅先輩の豊かな感性と文才により、生き生きと御姿を想像でき、楽しく読ませていただきました。ただし高齢サイクリストは安全第一ですよ。小宅先輩とは来月3日に紅葉ランでお会いできるのを楽しみにしています。

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