活動報告

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2017年11月  小宅 哲哉 (第17代・昭和49年卒)  [記事番号:r0241]
どんづまり寸又峡・大井川快晴ラン  (資料:r0241.doc

18期(1975年卒)恒例の紅葉ラン

日時:11月3日(金)~5日(日)

参加者:18期の浅賀、井上、遠山、森田、中村、両鈴木(幸治、宏和)。プラス常時参加19期の清子さん。それに加え今回は17期の小宅が招待され、恐れ多くも参加させて頂いた。

11月3日。大多数のメンバーは同じ列車で金谷に10時前に到着。そこで人と馴染めない遠山が合流、さらに新金谷で前日入りしていた小宅が合流した。新金谷を10時38分、ついに憧れの大井川鐡道SLに乗車する。

ここで注意、この本線(新金谷~千頭)と井川線(千頭駅より先)は、輪行に手荷物料金が発生する。なんと懐かしい。小宅がRCTCに入部した1970年、JCA会員に輪行することが許可され、手回り品切符を購入すれば鉄道に持込むことが可能になったのである。もうJRでは失われた制度がここ大井川鐡道で生きていたのだ。自転車文化遺産継承のために喜んで払おう(一部の者はブーブー言っていたが)。

千頭まで1時間余りのSL旅である。昔の車両で、みな窓を開けているので音がうるさい。それに輪をかけた大声で話すT君は、流石だ。聞こえるのはレールのガタガタ音とT君の話声のみ、眠れない。金谷駅乗り換えの人たちは、準備怠りなく用意した弁当を食べ始まった。用意してこなかった小宅は、差し向かいで座ったA君の弁当をジッと見ていたが、A君は眼をそらした。

千頭駅でアプト式鉄道に乗り換えた。この駅から乗車した女性の車掌さんがテキパキとして、私たち輪行組を1車両にまとめてくれた。彼女は、車内放送もこなし、その上アプト式運行が始まる「いちしろ駅」では、客にアプト式の構造の説明までしてくれた。鄙にもまれな優秀な人材である、嫁に欲しい。

長島ダム駅で下車、輪行を組み立てるが問題発生。フォールディングの新車を購入した井上のフロントデレィラー(シマノ105)のワイヤーの端が、外側を向き足に当たる。ワイヤーを内側に曲げて止めるポイントが、どこかわからない。仕方なくデレィラー上部にバンドエイドでくっつけた。最近の自転車メカは、簡単なものをより複雑にして、面倒くさくてしようがない。オールドサイクリスト泣かせである。 

ようやく当駅を2時過ぎに出発。おーっ、らくちんダウンヒルかと思ったのもほんの束の間であった。大井川本流にかかる泉大橋(標高400m)から最高点609m地点までの約5kmの山道を延々と上った。この寸又峡への道は1車線の幅しかなく、すれ違いができない。そのために待避所で交通指導員により止められて、片道通行となっていた。

この日は連休初日、紅葉の始まりとあって車の数が半端じゃなく多かった。よくもまあこんな山奥にまで車で来るものだと、我々サイクリストは遺憾に思わざるを得なかった。しかもこの道は寸又峡で、道はどんづまり、その先へ抜ける道がない。要所で待機していた車は、帰るに帰れないのだろう。寸又峡温泉の宿泊許容範囲人員を遥かに超えた乗車人員は、いったい何をしに行くのだろうか? もう夕暮れ間近だというのに。

午後4時すぎに寸又峡温泉の朝日山荘に到着。街はずれで最も奥の、どんづまりの味わいのある旅館であった。玄関の暖簾をみて、T君は宿の人に「色褪せてるね」と直言した。参ったなあ、これから泊まるというのに。こいつは私たちと一緒ではないと思わせよう。

寸又峡温泉といえば我々の世代は、1968年の金嬉老事件のことが記憶にあるが、それ以外の知識はあまりない。しかしこの温泉地をK君はどうして選んだのだろうか? ここでは「日本一清楚な温泉保有地」を目指した3原則がある。それは、
[1] 芸者・コンパニオンは置かない、
[2] ネオンはつけない、
[3] 立て看板は設置しない
の3つの決まりごとである。俗世間から隔たりを持ちたい清楚な人生を送ってきた井上、中村、小宅、宏和君には喜ばしいことであるが、俗世間、特に[1]の要件無しでは生きていけないA君、K君、M君は、このことを知らなかったに違いない。

温泉の源泉は4km先にあり、旅館に流れ着くまでにはぬるくなってしまう。沸かし湯であるが、我々が入った時にはまだ沸かす前であったらしい。私は、いまだかって、このようなぬるい温泉に入ったことはなかった。流れ出る湯は若干温かいので、そこで温まっていたら、T君に独り占めするなと叱られてしまった。怖い後輩である。いつの間にか食事の準備も整い、談笑しながらの夕餉となり一日を終えた。ここでもAKM君の俗世間の話題は好調であった。

11月4日。朝食後、最近とみにマスコミなどで騒がれている観光スポット「夢の吊り橋」を目指し出発。この橋は、「死ぬまでに渡りたい吊り橋ベスト10」に選ばれたらしい。どうして死ぬまでなのか、私にはわからない。死んだらどの橋も渡れないだろうに。長さ90m、高さ8mの橋を難なく渡るが、意外にもT君がビビりまくり、すり足で歩いていた。ん~、いつもの勢いは空威張りだったのか。他にも何人かの空威張りが露見した、ここは、夢だけでなく本性露見の吊り橋でもあったのだ。

1時間半のウォーキングの後、さあ出発という段になって遠山のチューブラータイヤがパンク。他人にパンクはしないようにと言ったばかりで、自分でパンクしているのだから奇特な人である。パンク修理の間、他のメンバーは観光案内所にてコーヒー休憩。この案内所の女性をどこかで見かけたと思ったのだが、昨夜の旅館で仲居さんをしていた方であった。いろいろ親切にしてくれたのはAKM3君の舌先に因るものである。この3君のヨイショは天下一品。

1時間の休憩(パンク修理)をして11時に出発。昨日ダウンヒルした約5キロの道を漕ぎ上がり、或いは押し上がった。紅一点(もう橙かな)ミルキーのペコちゃんは、頑張るなあ、H君も見習ってほしい(ダホンの名車を買ったのだから)。県道に戻ってダウンヒル後、午後12時半頃千頭駅周辺に着いた。駅前の食堂で昼飯。すぐ出来上がるカレーと定食を頼む。カレーは値段の割にちょっとさみしかったようである。食後本日で帰宅の森田、小宅は輪行で乗車した。ひとり遠山は島田まで走ったらしい(本人はそう言うので)。

続編(鈴木 幸治 記)

3人と別れ、いざ川根温泉に向けて出発した。国道362号線は避けて県道77号線で大井川沿いを下って行った。川沿いはアップダウンが多く、途中何度も自転車を降りて押していった。県道とは名ばかりで、農道のような狭い道もある。途中、塩郷駅前の塩郷の吊橋に立ち寄る。塩郷の吊橋は、大井川に架る一番長い吊り橋で、全長220m・高さ11mを誇る。吊り橋の下を大井川鐡道と77号線が走る。その後は快走し、16時過ぎには本日の宿「川根温泉ホテル」到着。(走行距離35㎞)

昨日の宿と比べて、2014年7月にオープンしたとても奇麗なホテルである。フロントで、自転車は駐車場脇に置いてくださいとのこと。それに対し、Kは1台50万円以上自転車ばかりで総額300万円、最近高級自転車泥棒が多いのでと言うと、それではホテル内の事務室でお預かりしますとのこと(嘘八百??)。

夕食は17時から予約してあったため、皆さんから冷たい視線を感じた。それでもH君は温泉へ、烏の行水だ!! 17時から18時30分(90分交代制)のバイキング形式の夕食で和食・肉料理・デザート等盛り沢山。温泉もとても奇麗で、特に露天風呂は炭酸泉で疲れが癒される。夕食後は、I君の部屋で日本シリーズ観戦しながら2次会、残念ながらベイスターズ4-3で負け、でもよくここまで頑張った。

11月5日。今日も晴天に恵まれる。8時30分に出発。ホテルから2㎞先で、島田直行組(宏和・浅賀・井上・清子)と金谷経由島田組(幸治・中村)に分かれる。以下は金谷経由島田の紀行文です。

2人は、少しでも金谷方面には近い?国道473号線を走る。暫く走ると、大和田付近から登りになるが然程ではなかった。だが次に地蔵峠は大変だった。健脚?の2人は、何とか自転車から降りることもなく峠に到着。下りは車も少なく最高速度50㎞/hで一気に金谷市街地に辿り着く。

3連休のため、帰りの新幹線の座席予約を確保するため、金谷駅に直行。何とか2席確保するも喫煙席だけしか空いておらず。金谷駅から徒歩5分の旧東海道金谷坂の石畳に立ち寄る。平成3年に町おこし事業として、約7万1千個の山石を敷いて430mの石畳が復元された。

その後は、島田の蓬莱橋まで約7㎞走行。蓬莱橋は、明治12年に農業用の橋として誕生。全長894.4m、幅2.4mで「世界一長い木造歩道橋」としてギネス認定。長さ897.4mから、やくなし=「厄無し」、また長い木の橋=「長生き橋」等のご利益スポットと言われている。

蓬莱橋を後にして、3km先の島田市博物館に寄る。「女戦国大名寿桂尼と今川氏」展が開催中でした。「島田宿大井川川越遺跡」の川越街道沿いの島田市博物館分館にも立ち寄る(観覧券セットで300円)。ここは、明治中期の古道具などを収蔵している。昼食は、川越街道にある風情ある蕎麦屋で一休みした。その後は、島田駅へ向かう。(走行距離40㎞)
 
輪行している最中4人の酔っぱらいが、何と皆さん上機嫌のご様子。その訳は、以下にお任せします。

続々編(鈴木 宏和 記)

金谷の旧東海道、石畳坂は今春53次ランで走った(歩いた)ので島田へ、登り坂嫌いの3名と4名編隊となり島田へ直行、ところが小さな登り坂が数か所あり難儀しつつ何とか島田へ到着。途中、すすきのかんざしなど頭に付けて地元の方々から「おおっ!」と喝采浴びた。大井川川越遺跡では記念館の方から往時の話を色々聞けて社会勉強にもなった。それにしても「箱根八里は馬でも越すが、超すに越せぬは大井川」の通り、川幅の広さには圧倒される。これをもっとも実感できる蓬莱橋へ立ち寄り中ほどまで散策した。

ところで今の時代はIT機器駆使が楽しい、石畳組と「Line here」というスマホアプリで位置情報を共有、「おっ、今、石畳だな!」などと楽しめる。現役の合宿、直東などでも活用されてるらしい。もちろん当人どおしの承認、時間設定で自分たち流の使い方で。今回も上級者、中級車、初心者、昭和旧人など多岐に渡り刺激多い。

さて、腹がすいてきたし、打ち上げビールが呼んでいる! すぐ近くの島田駅へ到着、帰路新幹線は全て満席と! 3連休のこの状態を的確に予想してたA,H両名以外は「あぁっ!」。一番的確だったA君の静岡発15:38に合わせて、輪行後、駅前を会場探すもほとんどが夕刻開店、ようやく中華料理店で「乾杯!!」、この店が町のラーメン屋さん的だが餃子、春巻き、酢豚、ホイコーロー、チャーハン、焼きそば、どれも実にうまい、アルコールもグイグイ進み、石畳組への「今どこ??」コールという次第。

島田駅で再合流、静岡からもこだま自由席で何とか席確保、実に充実堪能した旅を終えた。一人A君だけはヤマト便で🚲送って楽ちんそうだった。

追伸
前後にTV旅番組で大井川鉄道寸又峡関連が2本放映、我らの辿った場所に加え更に上流の所も紹介されており、一層旅の味わいが深まった、自分たちが行った先々の様子がTV番組で放映されると嬉しいものである。

追加の写真はページ上部の資料から閲覧ください。

長島ダムサイト 寸又峡・夢の吊り橋
川根温泉へのダウンヒル 塩郷吊り橋

コメント

2017年11月 浅賀 啓太郎 (第18代・昭和50年卒)   [コメント番号:m0278]
尊敬している小宅先輩と、好天のもと、楽しく自転車の旅をさせていただきました。先輩の相変わらずの語彙豊かな文才に、改めて記憶が喚起されました。ありがとうございました。文中の、先輩に弁当を分けなかった、俗世間に詳しい、3連休の混雑を的確に予測し、ヤマト便を活用していたA君は私です。

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