活動報告

戻るボタン

2019年10月  横山 司 (第17代・昭和49年卒)  [記事番号:r0279]
姫街道ラン  (資料:無し )

4年半かけて今年の春にようやく京都まで辿り着けた『旧東海道ラン』。後に残ったのが達成感と心地良い疲れだけなら良いのだが、これから何処を走れば良いのか?…不安と焦燥💦~という燃え尽き症候群にならないように、この秋はその打合せと体力低下防止を兼ねたランを実施することにした。

姫街道(本坂通)は東海道の重要な脇往還であり、静岡県磐田(見付宿)~気賀宿~浜名湖の北周り~本坂峠~嵩山宿~愛知県豊川(御油宿) 60㎞少々だから中間点の三ケ日に1泊し、翌日は本坂峠を越えて豊川まで下り坂を楽しもう!ということである。

10月6日(日)磐田駅に集合したのは17期2名&18期3名のレギュラー・メンバーであった。今までロード専門だったN氏もついにミニベロ・デビュー!(DAHON Visc EVO、Front 2枚、Rear 10枚)最後のロード・マン?となったT氏は「我関せず、我が道を行く!」

見付宿では以前に立ち寄った磐田市旧見付学校を再訪、日本に現存する最古の木造校舎(明治8年落成)はノスタルジック! 近くの交差点が姫街道の起点となるが、時代を経て道もかなり変わっているので姫街道を忠実に辿って走るのが容易ではない。

天竜川~江戸時代は池田の渡し、明治16年からは木造りの池田橋だったのだが現在は残っておらず東海道(R1)で渡河した。

姫街道では三方原追分から約3.8㎞に渡る松並木(南側だけ207本)は見応えあり。北側の松は昭和27年に火災で焼失した三方原小学校校舎の再建費用捻出のため代採されたそうだ。教育最優先の郷土愛だ!

関所があった気賀宿には多くの歴史遺産があるのでじっくりと見学したかったのだが時間が厳しそうだったので泣く泣く割愛した。

西気賀から姫街道を外れ浜名湖畔の道を進む。本来なら引佐峠(海抜200m)及び西側にある象鳴き坂(1729年、清国商人が将軍に献上する象が江戸に送られる途中に通った。)が良かったのだが、急峻な石畳では断念せざるを得なかった。

三ケ日からは猪鼻湖西岸に沿って浜名湖レークサイドプラザへ。夕食は浜名湖名産の鰻を《鰻三昧》コースで堪能した。料理長の栗津原晴美さん、ご馳走さま!

10月7日(月)朝食後、チェックアウトを済ませて出かけようとしたら、何と後輪がペチャンコ! 昨日は何ともなかったのに何故? このミニベロ(BD-1)はもうすぐ8年経つが2度目のタイヤ・トラブルであった。空気を入れても少しずつ抜けて来るのでチューブかバルブか原因を調べるしかない!

この日は本坂峠越え(標高差約270m)を控えていたので他のメンバーには先に出発してもらった。結局原因は分からなかったがチューブ交換が40分で終わったので、輪行で迂回することなく後を追うことにした。今回のハイライトを逃すわけには行かぬ❢という強い思いで必死にペダルを漕いだ。幸いなことにR362の新本坂トンネルの手前にある旧道入口から途中の坂道で皆にどうにか追いつくことができた。やれやれ‼

本坂峠(328m)は前述の象や天璋院篤姫も1853年に越えている。さあ、我々もと行きたかったのだが細い山道のオフロードでは如何ともし難い。しかし、本坂峠の約40m下には1915年に竣工した本坂隧道(旧本坂トンネル)が通っている。長さ214m、高さ4.5m、幅5mの煉瓦造りでとても良い雰囲気だ!ここでは自転車をゆっくりと押してトンネルによる県越えをした。

愛知県側の坂は結構濡れていたので慎重に下った。嵩山宿を過ぎR362沿いの食堂「吉野」に立ち寄ったが、世話好き、話し好きの女将さんが時間をかけて家庭的な天丼を作ってくれた。
「あんたたちは年金もらって遊んでいるんでしょう!」
どきっ(笑)! 550円だったのだが500円で良いよ!と来たので、600円置いてきたのは気持ちです! その後、豊川稲荷(日本三大稲荷の一つ、室町時代創建)に参拝して解散となった。

今回は自転車で姫街道を走ったが、気賀宿、引佐峠、象鳴き坂、三ケ日宿、本坂峠、嵩山宿など見所が多い。ただし山間部はオフロードや石畳となるので歩いた方がより楽しめると思う。

磐田・姫街道分岐角 浜名湖畔
本坂峠旧道 蒲郡・竹島

コメント

以下の「投稿」ボタンをクリックし、表示される画面に必要事項をご記入の上投稿下さい。 なお、内容のチェックをさせていただきますから、公開までに多少のお時間をいただきます。

コメント投稿ボタン

▲Page Up