活動報告

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2019年10月  小宅 哲哉 (第17代・昭和49年卒)  [記事番号:r0280]
日光けっこう歴史ヒストリィを走る  (資料:無し )

日時
10月20日(日)~21日(月)

参加者
17期:小宅
18期:浅賀、井上、長田、遠山、森田、中村、鈴木幸治、鈴木宏和
19期:青木清子 

一週間前の超大型台風19号が栃木県を襲い、至る所でその爪痕が残されたままであった。そのため東武日光線も不通で、東京方面からのメンバーは宇都宮経由で日光駅に到着した。18期の好例秋季ランということで、18期全員8名が揃ったのは久しぶりとのこと。日光を走るというので1期先輩の小宅(先輩だが実際は3年くらい下の後輩の扱いを受けている)と1期後輩の青木清子(後輩だが1年先輩の待遇である)も同行した。

メンバーの中に訪れた場所の説明がなかったとの意見があったので(こういうことをいう奴は決まっているT)、今回のレポートは、コースに沿った箇所の説明をする。

なお、日光といえば世界遺産、東照宮や輪王寺が主な観光スポットであるが、そのような一般観光客が見学するような場所では満足しない、わがままな後輩のためにそれらはルートから外した。

タイムライン

20日 走行28キロ:日光駅着am11:4~昼食(駅からすぐのみるきーはうす)~日光裏参内・[1]滝尾神社~[2]真光教会~[3]田母沢御用邸~鬼怒川パークホテルズ着pm4:15

21日 走行45キロ:パークホテルズ発am9~[4]例幣使街道杉並木~[5]宇都宮大谷石地下空間~宇都宮駅近く餃子屋(福多味)~駅解散pm3

訪問箇所の解説(怪説)

[1]滝尾神社(たきのお)
日光でも東照宮付近が賑わうようになったのは家康以降の江戸期からであるが、奈良時代からの日光の中心は、現在の二荒山神社から2キロほど北の山の中であった。この神社は、弘法大師が創建(820年)したといわれている。男体山と並ぶ女峰山の女神、田姫命を祀る。神社手前に影向石がある。弘法大師がここにきて大岩のあたりで祈願したところ女神が現れたという。実際このあたりはひんやりとしてただならぬ霊気を感じる。大騒ぎをするべき場所ではない。若干名が疲れた、帰りたいと不平を言っていたが、恐れ多いことである。

[2]日本聖公会真光教会
日本聖公会の教会、北関東最古の教会で、重厚なゴシック式石造りである。日光は明治期から多くの外国人が避暑地に訪れたので、それらの人のために建築家、宣教師であった米国人のJ.M.ガーディナーが、小さな礼拝堂を1890年に建てた。このガーディナーさんは、わが立教大学の初代校長であった。聖書台の下にガーディナー夫妻が眠っているという。礼拝堂は、大谷川(教会の前の川)から採取した石で築かれ実に趣がある。外側からは暗い感じのガラス窓だが、中からみると色鮮やかなステンドグラスになっている。この光の美しさを感じた人間は私だけであったようだ。他のメンバーは話に夢中であった、残念なことである。Spiritなるものは静寂のものに降りてくる、神聖な場所での無駄話は禁物である。

[3]日光田母沢御用邸
明治22年嘉仁親王(大正天皇)のご静養のために造られたが、昭和22年に廃止されるまで使用された。明治に造られた御用邸の中で最大規模であり、江戸・明治・大正の各時代の建築様式がみられる。西洋建築と和風建築との融合が図られ、貴重な建造物として国の重要文化財となっている。紀州徳川家江戸屋敷が中心であり、合計106室ものの部屋がある。庭園は日光鳴虫山を借景し四季の変化が美しい、特に紅葉期は見事である。ここも一般観光客が訪れない穴場である。さらに庭園内にある茶店のソフトクリームは絶品である。

[4]例幣使街道 杉並木
 例幣使とは京都の朝廷から東照宮に幣帛(へいはく、捧げもの)を奉納するための勅使のこと。この道は中山道から別れ太田宿~栃木宿~楡木(鹿沼)~今市~日光へ至る街道である。鹿沼から日光までの国道121号線に当時のままの杉並木が威容を誇り並んでいる。現在も鹿沼から文挟までの国道は幹線道路として使われているが、文挟から今市までの約10キロ位は細い道で、昔の面影が残ったままである。大風、大雨のたびに倒木あるいは枝折れで、たびたび通行止めとなる。そのために今回の台風での通行止めの心配をしていたのだが、案内人の普段の行いが良いせいか殆どの区間を走ることができた。経済発展優先の時代である。この歴史ある杉並木もそう遠くない将来にはどうなるかわからない。ロードバイクでなくランドナーでゆっくりと走るのが似合う道である。

[5]大谷石採石場跡
大谷石とは、宇都宮北方の大谷の地で採れる軽くて軟らかい凝灰岩である。使用された有名なところでは、旧帝国ホテルや日光金谷ホテルなどがある。この大谷石は江戸時代から採掘された。1960年頃まで採石は、ツルハシで刻まれ人に背負われ地上まで運ばれた。その採掘場の跡地が、一般の人には目に触れることなく残されたままであった。この採掘跡の巨大空間がコンサートなどのイベントとして利用され、見学の対象となった。深さは30m、最も深いところは60mもある。昔は地下へ降りるのに狭い木の梯子で降りて行ったが、現在は観光客も多く安全に降りられるようになった。近くにはやはり採石跡の岩壁に高さ27mの大谷の観音像が立っている。地下空間では迷子になって出てこられない、あるいはもう地上の生活に戻りたくない、というメンバーがいるので心配したが、無事全員帰還できたことは何よりであった。

総括まとめ

日光は、家康が東照宮に祀られるようになって発展した街である。メンバーのAくんはこのたぬき親父といわれた家康に風貌、性格とも本当に似ている。また家康の庇護を受けた天海僧正も、メンバーのTくんにそっくりである。今回のランは最初の予定では、会津方面から鬼怒川までのダウンヒルであったが、台風の影響で日光近辺の散策ランに変更となった。これは、家康がA氏とT氏を日光へ呼び込んだのであるが、この2人はその事情を知るべくもなく、早く温泉に入りたいとか、もう疲れて走れないとか子供のように駄々をこねていた。そして早く日光から離れてホテルの温泉に入ることばかりを考えていた。少しばかり今後の人生に影響がでるかもしれない。

余談だが、2年前に亡くなった故松原先輩(15期)と同様のコースを同期の横山君と6年前に走った。そして3年前には大谷近辺を14期の先輩の上島、大竹、飯田さんたちと一緒に走った。今回の走行が全員無事で走れたのは、松原さんが天上から見守ってくれたからであると察している。私は、先輩が作られたRCTCのジャージを着て走ったのだが、その姿を見てきっと微笑んでくれたであろう。

滝尾神社への急坂! 真光教会
例幣使街道 大谷石採石場

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