活動報告

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2024年1月  中村 淳 (第24代・昭和56年卒)  [記事番号:r0446]
日常的霞ヶ浦ショート ツーリング  (資料:無し )

会社を定年退職したので時間が自由になった.それまで,仕事による拘束時間が長かったから,自由になったら何をしようかと楽しみにしていた.しかしいざそうなってみると,自分が思い描いていたほどアクティブにはなれず,案外地味な毎日を送っている.この状況は身体にも精神にもよくない,それなら再び学生時代のように自転車生活を楽しもう,と考えた.今は自転車や用品などの環境を整え,自転車向きの体調を取り戻そうとしている途中だ.ゴールは輪行で2–3泊の峠越えツーリングに楽しんで出かけられるようになること.できれば数人の仲間と.

日常的にはやはり家の近くを走る.学生時代なら時間さえあればとにかく出かけたのだが,今の自分には冬の寒さが堪える.だから最近は暖かい正午から出かけて午後4時くらいまでに帰るショート ツーリングをする.霞ヶ浦湖畔道路で30km先の公園までを往復することが多い.自分の家から湖畔までは15分ほどなので,少しの時間でもしっかりサイクリング気分になれる.

自分が最近もっぱら使っているのは650-38Bのランドナーだ.フロントバッグやバックパックは使わない.その代わり,キャラダイス ネルソンという容量15Lのサドルバッグを付ける.サドルバッグには工具,パンク修理キット,スペアチューブ,エアゲージ,チェーンロック,軍手,ウインドブレーカー,キャップ,タオル,財布やカード類を入れたウエストバッグ,スマートフォン,マスクなどが入っている.体積はバッグ容量の7割程度,バッグ全体の質量は3kg近くになる.多少装備過剰かもしれないが,むしろ他の人が軽装すぎるのではないかとも思う.このサドルバッグを支えるためのリアキャリヤを,シートステーのダボとカンチ台座で固定している.ポンプと水のボトルはフレームに付けている.

タイヤの空気圧は前後でちがう値にする方が乗りやすいと,最近になってやっと気づいた.人が乗った自転車の重心はホイールベースの前から2/3くらいのところにくる.自分の場合サドルバッグが重いからもっと後ろかもしれない.そんな荷重バランスになっているから,後輪に最適な空気圧を前輪にもかけると,前輪が跳ね気味になるし,μの低いコーナーでの前輪グリップが不安になる*.それで自分は後輪3.1bar,前輪2.7bar程度に調整している.よい乗り心地になったと思う.
* モーターサイクルに長年乗っていると,前後輪のトラクションの感覚が敏感になる.非常に大きな負荷をかけなければ,グリップの限界付近の過渡特性は穏やかであることがわかる.ところが自転車は接地面積が非常に小さいので,限界を超えるとグリップが急に失われる(この因果関係は本当はとても複雑なのだが,省略してこう書いておく).特に前輪がグリップを失うと回復する可能性はとても低い.足をついて立て直せなければ,転倒する.


家から3分ほど,県道を走る.60–70km/hで後方からやってくる車を注意深くやり過ごすのはこの区間だけで,それもせいぜい数台だ.県道を右折して裏道に入ってからは,車と行き合うことはほとんどない.それでも,高齢の人が運転する農作業車とはときどき行き合う.通念では,彼らはスポーツ サイクルのスピードに慣れていない.15年くらい前にはそれで怖い思いをしたことが何回かある.しかし今,つくば・土浦・霞ヶ浦エリアはサイクリストが多く走るようになって,そのような不安もほとんどなくなった.用心に越したことはないが.

のどかな間道を霞ヶ浦湖畔まで走る.道は下り基調だ.湖畔道路はほぼフラットだが,付近の地形には思いのほか起伏があり,200mほどの短い距離で30mくらいの高低差の坂はざらにある.だから上りはそれなりに踏まなければならないが,すぐ終わるのが救いだ.

霞ヶ浦湖畔や筑波山周辺は茨城県や自治体の働きによって,サイクリストを呼び込むために,道路や施設などがよく整備されている.自分は大学1年生だった1977年にRCTCの追い出しランで水郷エリア(佐原,行方,鉾田,鹿島あたり)を走ったことがある.当時,霞ヶ浦も北浦も湖畔の道は寂しく狭い未舗装路で,走りにくかった.しかもその頃は霞ヶ浦に近隣の生活排水が流れ込み,水質の悪さや臭気で名を馳せていた.今は水もとてもきれいになった.隔世の感がある.

湖畔の走行でやっかいなのは,風だ.自分の印象ではこのエリアには常に風が吹いている.建物や森などの風除けはほとんどない.追い風ならもちろん快走できるが,速度が乗るので,そのぶん短い時間に感じる.追い風ルートだけを走ることは普通ないから,いずれ向かい風に耐えて走ることになる.向かい風では速度が出ない.往復するサイクリングでは追い風のときと同じ距離を,つまりより長い時間を,がんばって走らなければならない.当然,印象は辛いものになる.アップヒルは高度が上がるから辛いのも納得できるし,眺望が慰めにもなる.しかし平地の向かい風はどうにも納得しづらい.自分が期待する速度に達しないのに,エネルギーは余計に必要になる.向かい風に耐えてバーの下部を握り続ける姿勢も徐々に苦しくなる.

しかし,このようなサイクリングを日頃していると,そうした向かい風に対する感情も慣れっこになってしまう.ああまたかとあきらめて,前方を行く自分の幻を意識から消す.そして,いま足は毎分何回転かと腕時計を見て数えたり(自分はサイコンを付けていないのだ),その数にいま踏んでいる前後のギヤの比とタイヤの周長を掛けて車速を計算したり,そんなとりとめもないことをしながら単調な運動に没頭する.

自転車に乗っていて辛いのは,「このくらいの速度で走れるはずなのに,走れない.もっとがんばらなくちゃ」と,自分で自分にプレッシャーをかけて苦しむときだ.アップヒルもそうだし,向かい風走りも,グループランで仲間に置いてけぼりを食って焦るときもそうだ.そういう焦り,よく言えばプライドは,それがさらにエネルギーを生み出すことにつながるなら,悪いことではないが,毎度うまくいくわけではない.そのときの条件や体調を見ながら判断すべきだ.結局,気持ちの問題だ.自分はこれを理解するのに何10年もかかった.

湖畔道路では多くのサイクリストと行き合う.多く,といってもせいぜい10–15分に1組程度だが.車種は圧倒的にロードバイクが多い.クロスバイクやMTBもたまに見かける.クロモリのロードレーサー,スポルティーフ,ランドナーには一度も遭遇したことがない.ベテラン風情のサイクリストにも会ったことがない.そういう人たちはきっと,峠とか旧街道とかに行ってしまうのだろうか.休憩場所やコンビニなどでサイクリストと居合わせても,会話を交わそうという気分にはあまりならない.自転車人口が増えたが,その分いろいろなスタイルの人がいて,自分と波長が合いそうな人というのは実質増えていないか,ひょっとすると減っているのかもしれない.

ロードバイクにかなりの速度差で抜かれることがある.はたしてその速度でその先ずっと走っていけるのかと,しばらくは目で追うが,同じペースでどんどん離れていく.体力的な差もあるだろうが,機材の性能差も大きいのではないかと思う.それじゃ自分もそうした最新のロードバイクに乗りたいかというと,それはない.まあ自分は20かせいぜい25km/hで走れればいいやと,あらためて思う.もっとも,中にはがんばって抜いたけれど,その先が続かないというロードバイク(クロスバイクかも……)乗りもいる.そういうときには10mくらいの差で後について,次にどんな行動をするのか観察したりする.ちょっとした心理戦も楽しみのうちだ.

途中にコンビニが1軒だけある.たいてい,そこで小さいあんパンが4つ入った袋を買う.180円ほどだ.パック牛乳も買う.あんパンと牛乳のコンビは最強だ.それらをそのまま,サドルバッグにしまう.目的地の公園で,いつもの時刻,いつものあずまやのテーブルで,スマホの音楽かポッドキャストを聴きながら,のんびり食べて飲む.あんパンは2個食べて,あとはしまうから,次のサイクリングは牛乳だけ買えばよい.スベアとコッフェルを持ってきて,コーヒーや温かいスナックもいいかな.さて帰ろう.


このコースの近くには,いくつかの施設や遺構がある.まず霞ヶ浦の水質改善のための施設として,阿見町掛馬あたりの霞ヶ浦の沖に建つ独立行政法人 水資源機構の掛馬沖 水質自動監視所(写真2)がある.文字通り水質を自動で測定している.自分も数年前までずっと,何の施設かわからなかった.調べたら,この地区の水質自動監視所はこの他に霞ヶ浦に2か所,北浦に1か所ある.地区によっては,その特徴的な文化を反映したデザインを採用している.掛馬監視所の形は帆曳船をイメージしているという.ちなみに,帆曳船は今も観光用に出ているそうだが,自分が直接見たのはこの30年ほどで1–2回しかない.

防衛庁の施設として,阿見町青宿には陸上自衛隊 土浦駐屯地(通称,武器学校),阿見町掛馬には技術研究本部 土浦試験場がある.前者は名前からして自衛隊の部隊の地方拠点だとわかる.この駐屯地の中の桜は毎春見事に咲くので,その頃に地元の人々に無料開放される.敷地内には戦車や火器も展示されている.しかし後者は何をしている施設なのか,さっぱりわからない.人影もほとんど見たことがない.どちらも霞ヶ浦に面した敷地にあり,湖岸道路を分断する形になっている.だから湖岸道路を行く自転車や歩行者や車は,この2つの施設の敷地境界で湖と反対側に直角に方向転換し,長方形の迂回路を進んで,再び湖岸道路に戻ることを強いられる.何とかならないものか.機密上,自動車は通さないように車止めを設置するにしても,自転車と歩行者は通れるようにセットバックしてくれてもいいだろうに.

霞ヶ浦湖畔には15–10年前くらいまで,数kmの間隔で,湖底の砂を採取する基地やその近くの湖上に採取船があった.湖沼での砂の採取は自然環境を壊すとして,茨城県もそれまで黙認してきた採取事業を規制するようになった.今はあらかたなくなったようだが,まだわずかには残っている(写真3).それと前後して,霞ヶ浦の湖岸に砂浜を再生するという工事がおこなわれ,その結果今は湖岸近くに鳥や魚が多く住むようになり,景観も向上した.

湖畔から5kmほど南,美浦村美駒に,JRA日本中央競馬会 美浦トレーニングセンター(通称,美浦トレセン)がある.自分は競馬に詳しくないが,ファンの間では美浦トレセンは有名らしい.展示室はいつでも見学できる.さまざまな見学ツアーも開催されていて,じっくり見て回ることもできる……らしい.

片道の行程のほぼ中間あたり,美浦村大山に,かつての鹿島海軍航空隊の跡地がある.終戦まで,水上機の訓練を行なっていたそうで,霞ヶ浦の岸には水上機が出入りするためのスロープや倉庫が今も残っている.戦争末期には特攻隊の基地でもあったという.写真4上はその本部棟,下は暖房と調理のためのボイラー棟だ.戦後,本部棟と兵舎は東京医科歯科大学 霞ヶ浦分院として1997年まで使われていた.自分も門の前まで来て中を覗いたことはある.廃院直後,スピッツ「空も飛べるはず」のPVロケで使われた(今もネットで見られる).それ以後20年以上は廃墟の状態が続いていた.廃墟マニアの間では有名だったらしく,深夜に忍び込んで撮影した動画が多数アップロードされていた.その後,戦争遺構として整備されることになり,クラウド ファンディングで資金を集め,2023年から有料で一般公開されている(土日のみ).水上機用のスロープは現在,水上バイクのパドックとして使われている.

写真5はちょっとディープな景色だ.稲敷市古渡の湖に突き出した岸辺に2014年頃まで建っていた廃屋だ.この廃屋の存在を知ったのは,2010年頃のことだ.湖は水位の変化が少ないとはいえ,護岸工事も何もしない地面にこのような家屋を建てるのはナンセンスだし,建築が許可されないだろう.そもそも地権は自治体にあるはずだ.おそらくこのあたりがまったく開発されていなかった頃,腕に覚えのある個人が釣り小屋か何かを無許可で建てたのではないか……などと想像が膨らむ.長いこと放置され,徐々に傾いたようだ.右側の柱が壊れたら一気に倒壊するだろう.東日本大震災には耐えたが,傾きが少し大きくなったように見えた.その後どうなるかと,密かに興味を持ってときどき訪れたが,しばらくは変化がなかった.しかし2017年か18年あたりに偶然通りかかったら,跡形もなく自然の景色になっていた.倒壊した哀しい姿を一目でも見たかった.

稲敷市浮島にある和田公園が自分のいつものショート ツーリングの折り返し点だ.芝の広場,デイキャンプ場(かつては宿泊キャンプもできたが今は不可),運動場,花畑(春のチューリップは有名),砂浜,釣りのできる入江などがある.連休や夏休み期間などは訪れる人も多いが,それ以外はひっそりしていて,その静かさがよい.

写真 2:独立行政法人 水資源機構 掛馬沖 水質自動監視所 写真3:霞ヶ浦の砂採取場 陸上施設/湖上施設
写真4:鹿島海軍航空隊遺構 本部棟/ボイラー棟 写真 5:稲敷市古渡の廃屋

コメント

2024年1月 上島 信行 (第14代・昭和46年卒)   [コメント番号:m0333]
今日(1月27日)TV朝日の「人生の楽園」という番組で霞ヶ浦湖畔にこだわりのラーメン屋を開いた、元中学校教員夫婦のサイクリストが取り上げられていました。霞ヶ浦辺は自転車には快適な環境ですね。北に行けば筑波山もあるし。それと気が付いたのは茨城空港の存在ですね。スカイマークしか飛んでいないみたいだけど新千歳と福岡に飛んででいるのは便利ですね。私はずっと東京の西寄りの郊外に住んでいるので長野方面とかに車で行ったりするのは便利ですが、羽田まで1時間半はかかるのが問題です。

2024年1月 長谷川 靖 (第26代・昭和58年卒)   [コメント番号:m0332]
中村さんの自転車との付き合いがよく分かりますね。なんかほのぼのとしました。私も久しぶりにパナソニックのデモンダブルを引っ張り出してみたくなりました。もちろんのことクロモリのスポルティフです。
ぜひOBランにも参加してください。

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