私の自転車と周辺紹介

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2024年1月  井出 義實 (第22代・昭和54年卒)  [記事番号:b0088]
続々々 私の自転車 同行2人 出張の伴 キッズサイクルにも抜かれる小径車  (資料:b0088.pdf

* 画像は資料pdfファイルをご覧ください.なお代表的な画像の1枚を写真1に載せました(HP担当).

唯一移動の手段として求めたのは、歩くよりも時間の節約が出来るコンパクトな乗り物と言う1点のみ。輪行で長距離遠征し、最寄駅から最終目的地までは歩くよりも効率的に移動出来れば充分と、通勤時はもとより、北海道から九州の出張や旅行、富士山の清掃活動や四国のお遍路などにも帯同し、常時足代わりとなって活躍してくれた、12インチの超小型フォールディングバイク・スマートフィット(2014年5月購入)。

それまでは3台所有していたフォールディングバイクの内ストライダII(1999年11月購入)を新幹線移動等では多用してきたが、何しろ大きい上に嵩張る。

この4台目は、コンパクトを追求した結果の究極のデザイン設計のお陰で、輪行時にはほぼ30cm四方のキュービック型、まさにびっくり箱収納。ペダルの動力をチェーンからベルトドライブ駆動へ2段転換し後輪を回転……と言ってもピンと来る筈もないので、先ずは百聞は一見に如かず。驚きのギミックをとくとご覧あれ。

一見なんの変哲もない小径車だが、一体どんな試行錯誤を経れば、こんな突飛な設計が叶うのか⁉ これこそリバースエンジニアリングの最たるもの。定年まで勤めていた歯科医療機械メーカーの設計担当者らも唸らせた、機能性とデザインの融合はアイデアの結晶でもある。

設計者の意図に触発された私も、これでもかとオリジナリティを追い求め、赤青のブレーキワイヤ、マルチカラーチェーン、輪行補助輪、保護革張り等々工夫を凝らし、ひたすら独創性の演出を試みた。普通とかノーマルではもはや琴線にかすりもしない、持ち前のド派手好みの面目躍如と言ったところ。

小径車と言えば、まだ10、8、6インチとラインナップは数々あるが、運動性能、コンパクト化、実用性、快適性等を加味した総合力において、当時も今でもこれ程のギミックの塊にはお目にかかった事が無い。

所有する8台の自転車はどれもこれもアクが強く、個性的なデザイン、癖のあるものばかりだが、そんなコレクションの中でもスマートフィットは一番ポピュラーで、このスペックにしてはサスペンションの具合もすこぶる心地良いクールなマシン。

メンテを請け負う大阪の工場にマッドガードを取り付けに行った際の事、これで全国津々浦々、富士山周辺を移動したり、徳島、香川、愛媛県内のお遍路にも参拝した事等を話したら、一寸待った! この自転車は街中のチョイ乗り用として開発した物なので、余り無茶な乗り方はしないでくれと、手厳しくご注意を受けた。

確かに富士山周辺でも、お遍路の山道でも、ダウンヒルでは何やら白煙と共にブレーキシューの焼け焦げる匂いが鼻をつき、10kmの道程を歩いて下ったと言う笑えない苦い思い出もある。小径車はどうしたって車輪の回転数が多い上、ドラムブレーキやリムの冷却効果も殆ど期待出来ないので仕方がない所かもしれない。

さらにフレームの剛性を考えた場合、関節は少ないに越した事はないが、このモデルは6箇所もの折り畳み部から構成されているため、確かにジョイント部は金属疲労を起こし易いとの懸念もある。

華奢な筐体にしては、時に飛行機、新幹線、在来線、長距離バスにと揺られ続けた10年、数え上げれば30都道府県、メーカーからすれば酷使と言えるかも知れない激動の行脚を、何一つ愚痴をこぼす事なく共に歩んでくれた頼もしき伴侶。

保育士となった現在は、スマートフィット片手に全国を飛び回る事も、時間に追われる事も無くなり、電車やバス等を利用した輪行の中距離移動で、余り無理せずのんびり日帰りの郊外ポタリング。時にキッズサイクルにも追い越されるもお構い無し。たまにエアーを注入してあげる程度のケアで、関節部を労わりながらいまだ現役として、平穏で和やかな10年目の余生を静かに送っている最中である。

閑話休題。自転車を出張に持って行くイメージが、読者の皆さんには伝わり難いかと。実は歯科用レントゲン画像診断装置の開拓営業とメンテを行い、要請があれば全国の歯科医院まで直行すると言う業務に20年近く就き、街中、郊外、山中、海川縁、田畑ありと色んな場所の、最終最寄駅から10kmぐらい離れた歯科医院への訪問の際は、天候にもよりますが、大抵折畳自転車を帯同してました(田舎のバスは日中殆ど運行してない)。

ホテル周辺のナイトランはじめ、長野の出張では後輩の竹島昌治君、徳島、香川の出張では同期の木村和雄君と何度か豪遊(笑)した懐かしい思い出もあります。全国を股に掛け、自転車と共に綴ったライフノート、よくぞここまでやりたい放題、成し遂げてきたもの。今にして思えば何のトラブルや事故もなく無事に引退し、幸運にも恵まれたとても稀有なサラリーマン渡世だったのかも知れません。

写真2 写真3

コメント

2024年2月 井出 義實 (第22代・昭和54年卒)   [コメント番号:m0334]
追伸(反省文)

先の原稿を執筆している最中の1月20日土曜、隔週で行っている秋葉原の献血にリカンベント トライクで出掛けた際の事、午後からの降雨で寄り道先から大急ぎで帰路につきました。いつも走り慣れた本郷通りでしたが、急ぐ余り重いギヤで力強くペダルを踏み続けていたせいか、右腰椎痛を発症。断続的に襲って来る鈍痛に、翌日曜は出掛けることもままならず、夜は激痛に変わり一睡も出来ませんでした。

当然、月曜の保育園はドタ休し、整形外科へ直行。原因はいつもならベルト付きズボンを履いてるのに、土曜はジャージ姿と、心のスキが産んだ油断でした。特に体重を掛けられないリカンベントは、背の反発に頼った脚の押しだけの推力なので、腰への負荷はかなりあります。ウエイトを掛けたスクワットを繰り返しているようなものですから、たとえ細くてもベルトはしてた方が安全なのです。

安静と言う医者の指示も、私の辞書では歩行ぐらいはリハビリと解釈してました。なので火曜の朝起きると痛みもおさまり、保育園に当園しましたが、JRや私鉄の2回乗り換え、階段の登り降りとクロスカントリー的な移動に加え、10分以上歩く遠距離通勤で、途中から右大腿に痺れが走り、園には到着したものの、膝頭にも激痛が伴うに至って、已む無くその日も園を休む羽目に。日頃から体幹を鍛えている等との自惚れが招いた自業自得と猛省しています……。それでもやっぱり無理をし続ける……。コレは悲しい嵯峨と言う奴ですかね。

意地でも園児や園にこれ以上の迷惑は掛けられない。半月以上経った今でも、普段なら決して座ることの無い優先席で、コルセットを巻き、薬効切れにビクビクし、痛み止め薬が手放せない、何とも不様で情け無い日々を送っております。あんな投稿をしたばかりのお粗末過ぎる顛末でした。皆さん呉々もお身体を大切にして下さい。てか、お前に言われる筋合いは無い、頭の蝿を追え!!と、あちこちから聞こえてきそうです。小笑。

それでは牽引中のリハビリにコルセットを締めた惨めな姿をとくとご覧あれ。爆笑。

* 井出さんから添付された2枚の画像を,本文の写真2,写真3に載せました(HP担当).

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